フランスのマルクス主義者にアンドレ・ゴルツという人がいます。彼の提唱した「開放的技術」と「閉鎖的技術」という考え方がおもしろいので紹介しようと思います(斎藤幸平が『人新世の「資本論」』の中で紹介していて知ったものですが)。ゴルツは、社会を支える労働技術を「開放的技術」と「閉鎖的技術」とに分け、前者を「人々のコミュニケーションを促進するような協業の求められる技術」、後者を「人々を分断・奴隷化し、生産物やサービスの供給を独占するような技術」とし、労働が本来あるべき姿として開放的技術を推奨しました。
僕がこの考え方に接した際にまず頭に浮かんだのが、よく宮台真司が口にする「システム社会」でした。宮台は、「現在の社会は過剰にシステム化され、人々はそのシステムの奴隷となっている」と言います。たとえば宮台は、地元商店が大手スーパーにとって変わられる様を例に挙げますが、ゴルツの考え方に照らせば、地元商店の店主に求められるのが開放的技術で、大手スーパーの従業員に求められるのが閉鎖的技術でしょう。地元商店には、地域に密着してお得意さんを増やすことが求められますので、近隣住民とのコミュニケーションは必須です。でも大手スーパーでは、魚を切る人、惣菜をパックに詰める人、売り場に商品を陳列する人、レジを打つ人、などに従業員が分断され、マニュアルに沿うように奴隷化されます。買い物客と従業員の間にはコミュニケーションが必要とされません。
もちろんこうした分業を手放しに非難するわけにはいきません。アダム・スミスも述べているように、分業は働き手の専門性を高めることで生産を効率化し、財・サービスの供給を量的にも質的にも改善しえます。ただ、開放的技術と閉鎖的技術のどちらに頼って働いたほうが人間らしく働けるかという視点で考えると、やはり開放的技術に軍配が上がります。経済効率性を重視して閉鎖的技術をとるか、人間らしさを重視して開放的技術をとるか。単純な二項対立で論じれる事象ではありませんが、もっと開放的技術に重きが置かれるようになってもいいと思います。それによって現代社会を覆う閉塞感が少しでも緩和されればよいのですが。
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