タイトル | 人間不平等起源論(人間の間の不平等の起源と基盤についての論述) 【原題】Discours sur l’origine et les fondements de l’inégalité parmi les hommes 【英題】A Discourse Upon The Origin And The Foundation Of The Inequality Among Mankind |
著者 | ジャン=ジャック・ルソー【Jean-Jacques Rousseau】(1712-1778) |
原作出版年 | 1755年 |
前文
私が話すのは人間についてだ。これから人間について検討しながら、それを語っていく。真理の探求を恐れない者だけが、この種の議論を前に進めることができる。人類の大義を守ることを私に求める賢者たちの期待に応え、自信を持って議論を前に進めようと思う。そして、私を審査する賢者が納得するような議論の深め方をすることができたのであれば、これにまさる喜びはない。
私は、人間には二種類の不平等があると考える。ひとつは自然的不平等、あるいは身体的不平等と呼ぶべきもので、それは自然が定めたものであり、年齢、健康状態、身体的強さ、精神、あるいは魂の質の差からなるものである。もうひとつは、社会的不平等あるいは政治的不平等と呼ばれるもので、これは一種の取り決めに依存しており、人類の共通の同意によって確立されるか、少なくとも承認されるからである。この種の不平等は、ある種の人間が、より金持ちであること、より名誉を与えられていること、より権力を有していること、さらには服従を要求されることなどによって、他の人間に不利益を与えて享受しているさまざまな特権に起因している。
自然が定める不平等の原因を問うことはできない。この二つの不平等には本質的なつながりがあるのではないか、と問うことにも意味はない。これは言い換えれば、命令する者が服従する者よりも優れた人間であるのではないか、を問うようなものである。また、肉体や精神の強さ、知恵や徳が、権力や富と同じ割合で、常に各個人の中に見出されるのかを問うようなものでもある。このような問いは、奴隷が主人の前で議論するにはふさわしいかもしれないが、真理を探究する自由で理性的な人間にはふさわしくない問題である。
では、この論文の主題はいったい何であろうか。それは、物事のなりゆきの中で、暴力の代わりに権利が登場し、自然が法に従うようになった瞬間を解明することである。自然が法に服した結果、強者が弱者に奉仕するようになり、人民は現実の幸福を犠牲にして架空の安寧を手に入れるようになったという、驚くべき出来事の連鎖を示すことである。
社会の基礎を考察してきた哲学者たちは、その誰もが、社会を自然状態にまで遡る必要性を感じていたが、実際に自然状態に到達した者は一人もいなかった。彼らの中には、自然状態にあった人間に正義と不正義という観念があったことも認めた者もいたが、そのような観念が本当にあったのか、あるいはそのような観念が人間にとって有用であったのかを証明することに頭を悩ませた者はいなかった。またある者は、すべての人が自分のものを自分のものにする自然権について語ったが、その「自分のもの」という言葉が何を意味するのか、深く踏み込むことはなかった。また、最も強い者が最も弱い者に対して権威を持つことを認めておきながら、権威や政府という語が人民に定着するのに時間がかかることを考慮せず、ただちに政府を持ち出した者もいる。彼らはみな、欲望、貪欲、抑圧、欲望、高慢など、現代社会にありふれた考えを自然状態に持ち込んだだけだった。自然状態における野生人について語る際に、彼らは現代市民を参照したのだ。自然状態がかつて実際に存在したことを疑った哲学者はほとんどいないが、聖書を見てみれば、最初の人間は神によって知識と訓戒を与えられたのであり、自然状態を生きたわけではない。キリスト教の哲学者なら誰もが信用すべきモーセの書物を参照するのであれば、大洪水以前にも、何か特別な出来事がない限り、人間が自然状態を生きたことは否定しなければならない。哲学者たちのこのパラドックスを擁護することは非常に困難であり、証明することはまったく不可能である。
したがって、まずあらゆる事実を脇に置くことから始めよう。われわれが今から取り組む研究は、歴史的真実の解明ために行われるものではなく、単なる仮説的、条件付き推論である。それは、博物学者が世界の誕生について日常的に推論しているのと同じようなものであり、物事の真の起源を示すというよりは、物事の本質を説明するのことを目的としている。宗教はわれわれに、人間は自然状態から神自身によって引き出されたものであり、不平等はわれわれが望んで受け入れたものであると信じるよう命じている。しかし宗教は、人間の本性に基づいて、仮に人間が自然状態に放置されていた場合の運命について推測することを禁じてはいない。これが、私が答えるべき問題であり、本論で検討しようとする問題である。人類一般が私の主題に関心を抱いているように、私はすべての国民に適した言葉を使うように努めよう。いや、むしろ、時間と場所の事情を忘れて、私が話す相手のことだけを考えるために、私は自分がアテネのリセウムにいると仮定し、師匠の教えに基づきながら、あの有名な哲学の本場のプラトスやゼノクラテスを審査員として、そして全人類を聴衆として仮定して語ることにしよう。
人間よ、どんな国に属そうとも、どんな意見を持とうとも、私の言葉に耳を傾けよ。あなたがたは、私が読んだと思うようなあなたがたの歴史を、あなたがたのような者たちが作った書物ではなく、決して嘘をつかない自然の書物で聞くことになる。私が彼女に倣って繰り返すことはすべて真実でなければならず、虚偽は混じってはならない。これからお話しする時代はとても遠い。あなたはかつてとはどれほど変わってしまったことだろう!私が書こうとしているのは、ある意味で、あなたがたの種の人生であり、あなたがたの受けた資質から、あなたがたの教育や習慣が堕落させることはできても、破壊することはできなかったものからである。君たち一人ひとりが、やめたいと思う年齢があると私は思う。そして、君たちが望めば、君たちの種が止まっていたであろう年齢を探すのだ。あなた方の不幸な後世をさらに大きな不安に脅かすような理由で、現在の状態に不安を感じているあなた方は、おそらく、後戻りすることができるのであればと願うだろう。そしてこの感情は、あなたの最初の両親への賛辞であり、同時代の人々への非難であり、あなたの後を継ぐかもしれない不幸な人々への恐怖の源であると考えるべきである。
第一部
人間の自然状態について適切な判断を下すためには、人間をその起源から考察し、いわば種の最初の個体から調べることが重要かもしれない。とはいえ私は、段階的なアプローチを通じて、人間の生物学的成り立ちを追跡しようとは思わない。言い換えれば、生物学的に最初はどうであったかもしれないが、最終的にどうなったかを調べることはしない。アリストテレスが考えているように、人間の爪が最初は曲がった爪にすぎなかったのかどうか、全身が熊のように粗い毛で厚く覆われていなかったかどうか、また、四つん這いになって歩くときの目が、大地に向けられ、数歩の広さの地平線に限定されていたことが、人間の性質と限界を規定しなかったかどうか、こうした問いに答えようとは思わない。こうした問題に関しては、漠然とした、ほとんど想像に近い推測しかできない。比較解剖学もまだ十分ではないのだ。また、自然哲学の分野も、確固たる体系の基礎を築くには十分ではなかった。このため、この点に関してわれわれが度々目にする超自然的な情報に頼ることなく、私は、人間の形態は常に、現在われわれが見ているようなものであったと仮定する。人間は常に二本の足で歩き、我々と同じように手を使い、自然の全貌を見渡し、天の広大な広がりを目で測っていた。
このように構成されたこの存在から、彼が受けたかもしれないあらゆる超自然的な賜物や、われわれがゆっくりとした段階を経なければ獲得できなかったあらゆる人工的な能力を剥奪するとしよう。一言で言えば、自然の手から生まれたに違いないような存在である。ある動物よりは力が弱く、他の動物よりは活動的ではないが、全体としては、どの動物よりも最も有利に組織化されている。最初の樫の木の下で飢えを満たし、最初の小川で渇きを満たす。食事を与えてくれた同じ木のふもとで眠りにつくのが見える。見よ、これで彼の欲求は完全に満たされた。
大地は自然の繁殖力に任され、斧で切り刻むこともできないような巨大な森に覆われ、あらゆる種類の動物に餌と隠れ家を提供している。その中に散在する人間は、彼らの営みを観察し、真似をすることで、獣の本能に近づいていく。この利点は、獣のすべての種がひとつの特殊な本能に限定されているのに対して、人間は、おそらく自分に特に属する本能をひとつも持っていないにもかかわらず、他のすべての動物の本能を自分のものとし、獣が自分たちの間で分けるだけのさまざまな食べ物のほとんどを等しく食べて生きているということである。このことは、彼が他のどの動物よりも簡単に自分の生計を立てることができる理由である。
人間は、幼児期から天候の不順さや季節の厳しさに慣れている。疲労に慣れ、裸で武器も持たずに、森の他の野生住民から命と獲物を守るか、少なくとも逃げることで彼らの怒りを避けることを余儀なくされる。子供たちは、両親の優れた体質をこの世にもたらし、最初に体質を作り出したのと同じ運動によって体質を強化することで、人間の骨格が持ちうるすべての活力を獲得する。自然は、スパルタが市民の子どもたちを扱ったのとまったく同じように、彼らを扱う。自然は、スパルタが市民の子どもたちを扱うのとまったく同じように彼らを扱う。この点で我々の社会とは異なっている。国家は、子供が親の負担になることを許すことによって、母親の胎内にいる子供でさえも区別なく皆殺しにする。
野生人にとって身体は唯一の道具であり、それをさまざまな用途に用いている。そして、必要性から獲得せざるを得なかった力と敏捷性が失われたことを、われわれの産業に感謝してもよいだろう。手斧があったら、あんなに頑丈な樫の枝から簡単に手が折れただろうか。スリングがあれば、石をあんなに遠くまで飛ばすことができただろうか。梯子を持っていたら、あんなに軽快に木を駆け上れただろうか。馬があれば、あんなに素早く平原を駆けるだろうか。文明人があらゆる機械を集める時間を与えれば、間違いなく野生人には敵わなくなるだろう。しかし、もっと不平等な戦いを見たいという精神があるのなら、裸で丸腰の者同士を向かい合わせてみればいい。そうすればすぐに、あらゆる力を常に自由に使えるようにしておくこと、あらゆる事態に備えて常に準備しておくこと、いわば、自分自身を丸ごと、丸ごと持ち運んでおくことの利点がわかるだろう。
ホッブズは、人間は生まれつき恐れを知らず、常に攻撃し、戦うことに熱心であると言うだろう。ある著名な哲学者はそれとは反対のことを考え、カンバーランドやパッフェンドルフも同様に、自然状態にある人間ほど恐ろしいものはないと断言している。このことは、彼がよく知らないものに対しては、実に正しいかもしれない。また、新しい光景が現れるたびに恐怖を感じるのは、そこから予想される身体的な善悪を区別できず、自分の力と遭遇しなければならない危険とを比較できないからである。自然状態ではめったに起こらないことだが、そこではあらゆることが一様に進行し、大地の表面は、集まった肉体の情念や不一致によって引き起こされる突然の絶え間ない変化を受けにくい。しかし野生人は、社会も定住地もなく、他の動物の間で生活し、自分の強さと動物の強さを測る必要性に早くから迫られていることに気づき、やがて両者を比較するようになる。熊や狼を、頑丈で活動的で毅然とした野生人(野生人は皆そうである)に対峙させればよい。そして、この種の試練を何度か経験すれば、互いに攻撃することを好まない野獣が、自分たちとまったく同じ野生であることを知った人間を攻撃することをあまり好まないようになることが、すぐにわかるだろう。人間よりも強い力を持つ動物については、人間も他の弱い種と同じように、それでも生きていく手段を見つけることができる。そのような弱い種に対して、人間にはこのような大きな利点がある。それは、人間と同じように自由であり、どの木にもほとんど侵すことのできない隠れ家があることだ。これに加えて、自己防衛や極度の飢餓の場合を除き、人間に戦争を仕掛ける動物はいない。また、人間に対して激しい反感を示すこともない。これらの反感は、ある特定の種が、他の種の食物として自然界に意図されていることを示しているように思われる。
しかし、人間には同じような防御手段がない、もっと手ごわい敵もいる。それは、自然的な病弱、幼児期、老年期、あらゆる種類の病気であり、人間の弱さの哀しい証明である。乳幼児期に限ってみても、母親はどこへ行くにも子供を連れて歩くことができるため、他の多くの動物のメスよりもはるかに少ない労力と疲労で看護の任務を果たすことができる。確かに、もし女が死ぬようなことがあれば、子供も一緒に死ぬという最大の危険にさらされる。しかし、このような危険は、他の100種の動物にも共通することであり、そのような動物が自活できるようになるまでには、多くの時間が必要である。そして、もし私たちの乳幼児期が彼らよりも長ければ、同様に私たちの寿命も長くなる。だから、この点でも、万物は平等なのである。人生の最初の年齢の期間や、人間や他の動物の子供の数については、他にも規則があるが、それは私の主題には属さない。老人の場合、体を動かして汗をかくことはほとんどないため、食料を供給する能力に応じて食料の需要も減少する。野生人は痛風やリューマチを免れるだろうし、老いはあらゆる災いの中で人間の援助が最も軽減できないものである。
病気に関して、私は、ほとんどの人が健康を享受している間に、医学を貶めるために用いている虚偽の宣言を繰り返すつもりはない。私はただ、治療術が最も軽視されている国々では、人間の平均寿命が、治療術が最も発達している国々よりも短いと結論づけられるような、確かな観察結果があるかどうかだけを問いたい。また、医学が治療法を提供するよりも多くの病気を私たち自身に与えているのであれば、どうしてこのようなことが起こりうるのだろうか!人類のさまざまな階級における生活様式の極端な不平等、ある者における怠惰と他の者における労働の過剰、われわれの官能と食欲を刺激したり満足させたりする設備、富裕層のあまりに絶妙で常軌を逸した食事、 貧乏人の不健康な食事は、それが悪いものであっても、しばしば物足りなくなる。見張り、あらゆる種類の過剰、あらゆる情熱の過度の興奮、疲労、精神の浪費、一言で言えば、あらゆる状態に付随する無数の苦痛と不安であり、人の精神は常に餌食となる。これらは、われわれの弊害のほとんどが自ら作り出したものであり、自然がわれわれに定めた単純で、画一的で、孤独な生き方を守っていれば、これらすべてを避けることができたかもしれないという致命的な証拠である。自然がわれわれが常に健康を享受することを意図していたとしても、内省の状態は自然に反する状態であり、瞑想する人間は堕落した動物であると、私はほとんど断言できる。少なくとも、我々が強い酒で破壊しなかった野生人の優れた体質を精神に思い浮かべるだけでよい。彼らは、傷や老齢によるものを除けば、ほとんどすべての病気とは無縁であることを思い起こすだけで、人間の病気の歴史は、文明社会のそれを追求することによって容易に構成されるかもしれないと、ある意味で確信することができる。少なくともプラトンは、トロイ包囲戦でポダリルスとマカオンが用いた、あるいは承認したある治療法から、これらの治療法が彼の時代にもたらしたとされるいくつかの障害は、その遠い時代には人間には知られていなかったと結論づけた。
したがって、病気の原因がほとんどない自然状態にある人間には、薬も医者も必要ないのである。この点で、人間という種が、他のどの動物種よりも哀れなわけでもない。狩猟を趣味や仕事にしている人たちに尋ねてみよう。その多くは、かなりの傷を負った跡があるが、完全に治癒して塞がっている。以前は骨が折れ、手足がちぎれそうになっていたのに、時間以外に外科医を使うこともなく、普段の生活習慣以外にどんな養生法をとることもなく、完全に結びついたものも多い。一言で言えば、社会生活を営む我々にとって、適切に投与された薬がいかに有用であろうとも、一方では助けのない病める野生人が自然状態から何も望めないのであれば、他方では自分の病気以外には何も恐れることはない、ということは疑いようがない。このような状況は、しばしば彼の状況を我々よりも好ましいものにしている。
したがって、野生人と、われわれが日常的に見たり話したりしている人間とを混同しないように気をつけよう。自然は、自分の世話を任されたすべての動物に対して、その特権にどれほど嫉妬しているかを証明するかのような嗜好をもってふるまう。馬も、猫も、牛も、いや驢馬そのものも、一般に、家よりも森の中にいるほうが、体格がよく、体質が丈夫で、活力があり、力強くて勇気がある。家畜になると、こうした利点の半分を失ってしまう。家畜に優しく接し、良い餌を与えようとする私たちの注意は、家畜を私生児化することだけに役立っているように見える。人間も同じだ。社交的になり、他人の奴隷になるのに比例して、人間は弱くなり、恐ろしくなり、卑屈になり、軟弱で女々しい生き方をするようになる。さらに付け加えれば、野蛮で家庭的な状態にある人間と人間の間には、獣と獣の間よりもさらに大きな違いがあるはずだ。人と獣が自然界で同じように扱われてきたように、人が獣に飼いならされたとき以上に自らを甘やかす便利さは、獣をより感覚的に退化させる多くの特別な原因である。
したがって、裸であること、家屋がないこと、そしてわれわれが非常に必要だと考えているこれらすべての不必要なものは、原始的な人間にとってはそれほど重大な弊害ではなく、ましてや彼らの保存を妨げるものでもない。確かに彼らの皮膚には毛がない。しかし、温暖な気候では、そのような被毛は必要ない。そして寒冷地では、征服した動物の毛をその用途に使うことをすぐに学ぶ。彼らには走るための2本の足しかないが、身を守るための2本の手があり、すべての欲求を満たすことができる。子供たちを歩かせるためには、おそらく多大な時間と手間がかかるだろうが、母親たちは簡単に子供たちを運ぶことができる。これは他の動物にはない利点である。他の動物では、追いかけられると、母親は自分の子供を捨てるか、子供の歩幅で自分の歩幅を調整するしかない。要するに、これから述べるような特殊で偶然的な偶然の一致を認めない限り、また、そのような偶然の一致が存在しなかった可能性も非常に高いが、どのような問題を考えても、最初に自分で衣服を作り、小屋を建てた人間が、それまでそれなしで生活していたため、さほど欲しくもなかったものを自給したことは明らかである。そして、幼少期から支えてきたのと同じような生活を、なぜ熟年になっても支えることができなかったのだろうか。
ひとりぼっちで、怠惰で、常に危険に囲まれている野生人は、睡眠が好きで、他の動物のように軽く眠っているに違いない。自己防衛がほとんど唯一の関心事であるため、獲物を制圧するためであれ、他の動物のようにならないようにするためであれ、攻撃や防御に最も役立つ能力を最も発揮しなければならない。それとは反対に、柔らかさと官能性だけが向上させることのできる器官は、あらゆる種類の繊細さとはまったく相容れない、無作法な状態のままでなければならない。この点で、彼の感覚は分断されているため、触覚と味覚は極めて粗く、鈍感でなければならない。視覚、聴覚、嗅覚も同様に微妙である。これが一般的な動物の姿であり、旅行者を信じるならば、ほとんどの野生人がそうである。したがって、グッドホープ岬のホッテントットが、オランダ人が眼鏡で船を識別できるのと同じくらい遠く離れた海上の船を、裸眼で識別することに驚いてはならない。また、アメリカ大陸の野生人が、最高の犬ができるのと同じくらい正確に、鼻でスペイン人を追跡したこともない。また、これらの野蛮な国々は皆、苦痛を伴わずに裸を支持し、食べ物においしさを与えるために大量のパイメントを使い、ヨーロッパの最も強い酒を水のように飲む。
これまで私は、人間を単に身体的能力においてのみ考察してきた。次に、人間を形而上学的・社会的に考察してみよう。
単なる動物には、自然が自らを巻き上げる感覚を与え、自らを破壊したり混乱させたりするあらゆるものからある程度まで守る、独創的な機械以外の何ものも見出すことはできない。私は人間の機械にも、これとまったく同じものを見出している。ただし、獣のすべての動作には自然のみが作用しているのに対し、人間は自由意志を持つ者として、獣の動作にも関与しているという違いがある。一方は本能によって選択する。もう一方は自由意志によって選択する。そのため、獣は、たとえそのような逸脱が有益な場合であっても、獣に定められた規則から逸脱することはできない。このように、鳩は最高級の肉の皿のそばで飢え、猫は果物やとうもろこしの山の上で飢える。このように、淫乱な人間は過剰な行為に走り、熱病や死そのものをもたらす。精神が感覚を堕落させ、自然が語ることをやめても、意志はなお独裁を続けるからだ。
すべての動物が感覚を持っている以上、すべての動物が考えを持つことは許されなければならない。この点で、人間と獣の違いはその程度の違いにすぎない。ある哲学者たちは、ある人間とある人間との間には、ある人間とある獣との間よりも大きな違いがあるとさえ言っている。従って、動物の中で人間の特別な区別を構成するのは、理解力ではなく、人間の自由意思者としての性質である。自然はすべての動物に語りかけ、獣はその声に従う。人間も同じ印象を受けるが、同時に、自分には抵抗する自由も服従する自由もあることを認識する。そして、この自由を意識することにこそ、彼の魂の霊性が最もよく現れるのである。自然哲学は、感覚のメカニズムや観念の形成についてある程度説明している。しかし、意志の力、いやむしろ選択の力、そしてこの力の意識においては、純粋に精神的な行為以外には発見できない。
しかし、このような問題がすべて関わっているため、人間と獣の違いについて論争する余地が残されているにもかかわらず、両者を区別するもう一つの非常に特殊な性質があり、論争を許さない性質がある。それは向上心である。この能力は、状況に応じて、他のすべての能力を次々と開花させ、人間という種の中だけでなく、その種を構成する個体の中にも存在する。ある獣が、何カ月か経った時点で、残りの生涯のすべてとなるのに対して、その種は、何カ月か経った時点で、残りの生涯のすべてとなる。また、その種は、千年の終わりには、まさにその長い期間の最初の年にそうであったようになる。なぜ人間だけが老年期に入るのか。原始的な状態に戻るからではないか。そして、何も獲得せず、同様に失うものもない獣が、常に本能を持ち続けているのに対して、人間は、老齢によって、あるいは偶然によって、その完全性の結果として獲得したものをすべて失い、その結果、獣そのものよりもさらに低い位置に落ちてしまうからではないか。この特徴的でほとんど無制限の能力が、人間のすべての不幸の原因であることを認めざるを得ないのは、憂うべきことである。この能力こそが、ゆっくりとではあるが、人間を本来の状態から引き離し、平穏で無邪気な日々を送るように仕向けるのである。この能力こそが、年齢を重ねるにつれて、彼の発見と過ち、彼の美徳と悪徳を生み出し、長い目で見れば、彼を彼自身であると同時に自然の暴君にするのである。オロノコ・インディアンに、子供のこめかみに板を貼ることを最初に提案したのが誰であれ、その板を有益な存在として称賛せざるを得ないのは、ショッキングなことである。
野生人は、自然から純粋な本能に見放され、あるいはむしろ、本能の代わりを即座に果たし、その後に自分を大きく向上させることのできる能力によって、おそらくは否定された本能を補償され、したがって、単に動物的な機能から始めるだろう。見ること、感じることが彼の最初の条件であり、それは他の動物と共通して享受するものであろう。意志を持つこと、持たないこと、望むこと、恐れることが、彼の魂の最初の、そしてある意味では唯一の活動である。
道徳主義者が何と言おうと、人間の理解力は情欲に大いに助けられている。私たちの理性が向上するのは、情念の活動によるのである。私たちが知識を欲しがるのは、単に楽しみを欲しがるからであり、恐れや欲望から解放された人間が、なぜわざわざ理性を働かせる必要があるのか、考えることはできない。情欲はその起源をわれわれの欲求に求め、その増大はわれわれの科学の進歩に負っている。われわれは何ものをも欲したり恐れたりすることはできないが、それはわれわれがそれに対して抱いている観念か、あるいは自然の単純な衝動の結果である。そして、あらゆる種類の知識を持たない野生人は、この最後の種類の情熱以外を経験することはない。彼の欲望は身体的欲求を超えることはない。食べ物、女、休息以外には何も知らない。彼は苦痛と飢え以外の悪を恐れない。苦痛といっても死ではない。死とその恐ろしさについての知識は、人間が動物の状態から逸脱した結果、最初に獲得したもののひとつである。
必要であれば、この意見を支持する事実を挙げて、精神の進歩が、自然が住民に与えた欲求、あるいは状況が住民を従わせた欲求、ひいてはこれらの欲求を満たそうとする情欲に、いたるところで正確に歩調を合わせてきたことを示すことは簡単だ。私はエジプトで、ナイル川の氾濫とともに興り、発展していく芸術を展示することができた。ギリシア人のあいだで、芸術が芽を出し、成長し、天に向かって昇っていくのを見ることができた。一般的に、北の住民は南の住民よりも勤勉である。あたかも自然は、土壌に否定された豊饒さを精神に与えることで、万物を平等にしようとしているかのようだ。
しかし、歴史の不確かな証言を除けば、野生人から誘惑や状況を変える手段を取り除いているように見えない人はいないだろう。想像力は何も描かない。心は何も求めない。彼のささやかな欲求は、どこでも手に入るものでいとも簡単に満たされ、それ以上のものを欲しがるのに必要な知識の程度からは遠く離れているため、先見の明も好奇心も持てない。自然の光景は、彼にとってかなり身近なものとなり、ついには同じように無関心になる。それは常に同じ秩序であり、常に同じ回転である。最大の驚異を見ても、驚きを感じるほどの感覚はない。そして、毎日見てきたものを一度だけ観察する方法を知るために人間が持たなければならない哲学を、彼の精神に求めることもない。彼の魂は、何ものにも邪魔されることなく、現実の存在の意識に完全に身をゆだねている。そして、彼の計画は、彼の見解と同じように、一日の終わりまでほとんど及ばない。現在でさえ、カリブ海諸国の先見性の程度はそのようなものだ。朝、綿ベッドを売り、夕方、目に涙を浮かべながらそれを買い戻しに来る。
この問題について考えれば考えるほど、私たちの目には、単なる感覚と最も単純な知識との間の距離が広がっていく。そして、人間が自分の力だけで、コミュニケーションの助けもなく、必要に迫られることもなく、これほど大きな隔たりを乗り越えることができたとは考えられない。人が天の火以外の火を目にするまでに、おそらく何世紀が経っただろう。この元素の最も一般的な使い方を知るようになるまでに、どれだけのさまざまな事故が重なったことだろう。それを再現する術を知る前に、どれほどの頻度で火を絶やしてきたことだろう。そして、これらの秘密のひとつひとつが、発見者とともに消えてしまったことが、おそらくどれほどあったことだろう。農業は、非常に多くの労力と先見の明を必要とする技術である。他の技術に依存している。農業は、形成された社会とまではいかなくても、少なくともある程度の地位のある社会でなければ実践することができないのは明らかであり、大地から食料を引き出すというよりも、大地はそんな苦労をしなくても食料を生み出すだろうから、私たちが最も好むものを、他の人に好んで生産するよう義務づけるものである。しかし、仮に人間が増えすぎて、もはや大地の自然の産物だけでは足りなくなったとしよう。ところで、このような生活が人類にとって非常に有利であることを証明する仮定がある。鍛冶場も金床もなく、家畜を育てる道具が天から野生人の手に落ちたとしよう。彼らは、これほど長い時間をかけて、自分たちの欲求を予知することを学んだのだ。どのように大地を壊し、そこに種をまき、木を植えればよいかを正確に言い当てていたのだ。トウモロコシを挽く技術も、ブドウの果汁を発酵させる技術も知っていた。そのような発見を自分たちでするとは考えられないからだ。このような素晴らしい贈り物の後に、畑を耕すほど愚かな人間がいるだろうか。畑の生産物に興味を持った最初の来訪者、人間や獣に強奪されるかもしれない。また、労苦と疲労の報酬が、その報酬の不足に比例してますます不安定になるような状況で、労苦と疲労の日々を過ごすことに同意する人間がいるだろうか。一言で言えば、このような状況下で、大地を耕す気になる人間がどうしているだろうか。大地に区画がない限り、つまり自然状態が存続する限り、である。
哲学者が考えるように、野生人も思考術に精通していると仮定しよう。哲学者たちに倣って、彼自身を哲学者とし、最も崇高な真理を自ら発見し、最も抽象的な論証によって、一般的な秩序への愛から、あるいは彼の創造主の既知の意志から導き出された正義と理性の格言を彼自身に形成すると仮定したとしても、である。一言で言えば、彼の精神が知性的で覚醒していると仮定しても、実際には鈍感で愚かであることが判明する。このような形而上学的な発見から、人類はどのような恩恵を受けるだろうか。他の動物の間に散在する森の中で、人類はどんな進歩を遂げることができるだろうか?また、定住地もなく、互いの援助を必要とすることもなかった時代に、人間はどれほど互いを高め合い、啓発し合うことができただろうか。同じ人間が一生に二度しか会わず、会っても口をきかず、互いを知ることもなかった時代に、人間はどれほどお互いを高め合い、啓発し合うことができただろうか。
われわれがどれほど多くの観念を音声の使用に負っているかを考えてみよう。文法がどれほど心を鍛え、精神の働きを促進するか。さらに、言語の最初の発明が必要としたであろう膨大な労力と時間について考えてみよう。これらの考察を前述に加えよう。そうすれば、人間の精神が生み出すことのできる操作を次々と発展させるためには、何千年もの歳月が必要だったに違いないと判断できるだろう。
さて、ここでちょっと立ち止まって、言語の起源にまつわる不可解な問題について考えてみたい。この問題に関連してコンディヤック大修道士が行った研究は、私の体系を完全に裏付けており、おそらくその最初のアイデアさえ私に示唆したものである。しかし、この哲学者が、彼自身の出発点である、任意の記号の起源に関する難問を解決する方法からわかるように、彼は、私が疑っていること、すなわち、言語の発明者たちの間にすでに確立された一種の社会を仮定しているのである。私は、彼の考察に言及すると同時に、同じ難問を私の主題に適した光で明らかにするために、私自身の考察を述べることが私の義務であると考える。まず、どうして言語が必要になったのかということである。人と人との間に文通はなかったし、文通の必要性など少しもなかったのだから、言語が必要不可欠なものでなかったとしたら、この発明が必要であったとも、可能であったとも考えられない。他の多くの人々とともに、言語とは父、母、子の間の家庭内交流の賜物である、と言ってもいいかもしれない。しかし、これでは何の困難にも答えられないばかりか、自然状態を推論し、社会で収集された観念を自然状態に移し替え、家族が一つ屋根の下で共に生活し、その構成員が、多くの共通の利害が一致団結する社会状態に存在するのをわれわれが見るのと同じように、親密で永続的な結合を自分たちの間で守っていると考える人々と同じ過ちを犯すことになる。一方、この原始的な状態では、家も小屋もなく、財産もなかったため、誰もが無作為に宿をとり、同じ場所に一晩以上滞在することはめったになかった。男と女は、計画的な意図なしに、偶然や機会や欲望によって結びついた。別れも同じように簡単だった。母親は、生まれたばかりの子供を自分のために授乳した。しかし、その後、習慣や風習によって子供たちが母親にとって大切な存在となったとき、子供たちへの愛情と慈しみから、乳を飲ませるようになった。しかし、子供たちが食べ物を求めて走り回るだけの力を得るやいなや、自分の意志で母親から離れるようになった。互いを見失わない方法は、互いの視界に常に入っていること以外にはほとんどなかったため、再会しても互いを知らないほど、すぐに忘却の淵に落ちてしまった。さらに申し上げたいのは、子供は自分の欲求をすべて説明する必要があり、その結果、母親が子供に話すことよりも母親に話すことの方が多くなる。このため、言語の数は、それを話す個人の数に等しくなる。そしてこの言語の多さは、彼らの放浪的で気ままな生活によってさらに増大し、どんな熟語も一貫性を獲得するのに十分な時間を与えられない。母親が、子供にあれこれ尋ねるときに使う言葉を指示したというだけでは、すでに形成された言語がどのような方法で教えられるかは十分に説明できても、どのような方法で最初に形成されるかはわからない。
この最初の難問が克服されたとしよう。そして、そのような必然性を認めた上で、どのようにして言語が成立し始めるのかを検証してみよう。この新たな難問は、先の難問よりもさらに頑固なものである。人が考えることを学ぶために言葉を必要としたのであれば、話すことを発明するために考える技術をさらに必要としたに違いない。そして、私たちは、どのようにして声の音が私たちの同意の解釈者とされるようになったかを考えることはできても、そのような同意の解釈者が誰であったかを知ることはできない。そのため、私たちの考えを伝え、精神間の対応を確立するこの術の誕生については、ほとんど推測の域を出ない。この崇高な芸術は、その起源から遠く離れているにもかかわらず、哲学者たちはいまだにその完成から途方もなく遠いところにあると見なしており、たとえ時間によって必然的に生じる回転が一時停止したとしても、そこに到達すると断言するほど大胆な哲学者に出会ったことはない。たとえ偏見がアカデミーの前から消え去り、あるいは少なくともアカデミーの前で黙っていることに満足し、これらの学会がこの複雑な対象を研究するために、全面的に、そして全時代にわたって、その研究に専念するようになったとしても、である。
人間の最初の言語、あらゆる言語の中で最も普遍的で最も精力的な言語、要するに、集まった大群衆を説得する必要が生じる前に、人間が使う機会があった唯一の言語は、自然の叫びであった。この叫びは、危険が迫ったときに助けを求めたり、苦しみが大きいときに救いを求めたりする、最も緊急な場合の本能のようなものによってしか、発せられることはなかった。人の考え方が広がり、増え始め、人々の間でより緊密なコミュニケーションが行われるようになると、彼らはより多くの記号やより広範な言語を考案しようと努力した。声の抑揚を増やし、身振り手振りを加えた。身振り手振りは、それ自体の性質上、より表現力に富み、意味が事前の決定にあまり左右されない。そのため、目に見えたり動いたりするものを身振りで表現し、耳を打つものを模倣音で表現した。しかし、身振り手振りは、実際に存在するか、簡単に説明できる対象物と、目に見える動作以外は、ほとんど何も示していない。ジェスチャーは、暗闇や不透明な媒体が邪魔をするため、一般的には役に立たない。また、注意を喚起するよりもむしろ注意を必要とする。これは、いかなる明確な対象とも同じ関係を持たないが、設立された標識の性質上、われわれのすべての観念を表すのに適している。このような代用は、共通の同意によってのみ可能であり、しかも、そのような代用は、運動によって改善されることのない未熟な器官を持つ人間には、かなり困難な方法であった。この全会一致の動機は、何らかの形で表現されたはずであり、したがって、音声の使用を確立するためには、音声が非常に必要であったと思われる。
人間が最初に使用した言葉は、彼らの精神において、ある程度の地位のある言語で使用される言葉よりもはるかに広範な意味を持っていたことを認めなければならない。彼らは最初、すべての単語に命題全体の意味を与えていた。その後、主語と属性、動詞と名詞の違いを認識するようになったが、この区別には天才的な努力が必要であった。
なぜなら、形容詞はすべて抽象的な言葉であり、抽象化は不自然で非常に骨の折れる作業だからである。最初、彼らはあらゆる物体に、その属や種をまったく考慮することなく、独特の名前をつけた。そして、すべての個体は、自然の表にあるように、彼らの精神にとって孤独な存在であった。つまり、彼らの辞書は、物事に関する知識が狭かった分だけ、より広範なものであったに違いない。これほど拡散し、厄介な命名法を取り除くのは、非常に困難な作業とならざるを得ない。さまざまな生き物を共通の一般的な呼称のもとに集めるためには、まず、それらの性質と相違点を知る必要があった。観察と定義、つまり自然史と形而上学を理解するための知識を蓄えておくことは、この時代の人たちが享受し得なかった利点である。
それに、一般的な考え方は、言葉の助けなしには精神に伝わらないし、理解も命題の助けなしには捉えられない。これが、単なる動物がそのような観念を形成することができず、そのような操作に依存する完全性を獲得することができない理由のひとつである。ある猿が、一つの木の実から別の木の実へと、少しもためらうことなく離れるとき、我々は、彼がその種の果実について一般的な考えを持ち、これら二つの個体を、彼の原型的な概念と比較していると考えるだろうか?いや、確かにそうだ。しかし、一方の木の実を見ると、もう一方の木の実から受けた感覚が彼の記憶によみがえる。そして、彼の目は、ある特定の方法で修正され、彼の味覚に、これから受けることになる修正を知らせるのである。あらゆる一般的な考えは、純粋に知的なものである。想像力がそれに少しでも手を加えれば、それは直ちに特定の考えになる。一般的な木のイメージを自分の中で表現しようと努力しても、決してできないだろう。どんなに努力しても、木は大きく見えたり小さく見えたり、細く見えたりふさふさに見えたり、明るい色に見えたり深い色に見えたりする。そして、どの木にも見られるもの以外は何も見ないようにすれば、そのような絵はもはやどの木にも似つかわしくなくなる。完全に抽象的な存在も、同じように知覚可能であるか、あるいは言葉の助けによってのみ想像可能である。三角形の定義だけで、その図形を正しく理解することができる。心の中で三角形を作った瞬間に、その三角形はこの三角形であり、この三角形以外の三角形ではなくなる。したがって、私たちは命題を利用しなければならない。したがって、一般的な考えを持つように話さなければならない。想像力が停止した瞬間、精神も停止せざるを得ない。それゆえ、最初の発明者たちが、すでに持っていた観念以外のいかなる観念にも名前をつけることができなかったとすれば、最初の実体詞は固有名詞以上のものにはなりえなかったということになる。
しかし、私が想像もつかないような手段で、私たちの新しい文法家たちが考えを拡張し、言葉を一般化し始めたとき、発明者たちの無知は、この方法を非常に狭い範囲に限定したに違いない。また、最初は属と種という区別を知らなかったために、個体の名前を増やしすぎたが、その後、あらゆる差異を持つ存在について考えたことがなかったために、属と種を少なくしすぎた。この区分をさらに推し進めるには、私たちが許容する以上の知識と経験を持ち、私たちが喜んで従うと考える以上の研究と苦心をしていたに違いない。今この時でさえ、それまで我々の観察から漏れていた新種が日々発見されているとすれば、単に最初の外見から物事を判断していた人々が気づかなかった種はどれほど多いことだろう!原始的な階級や最も一般的な概念についても、同様に見落としていたに違いないことを付け加えるのは余計なことだ。例えば、物質、精神、実体、形態、姿、運動という言葉を、どうやって考えたり理解したりしたのだろうか。これほど長い間、常にこれらの言葉を使ってきたわれわれの哲学者でさえ、ほとんど理解できないのだから。
私はこれらの最初の進歩に立ち止まり、裁判官たちに講義を少し中断して、言語が人間のあらゆる感情を表現し、不変の形式をとり、身体的に話されることに耐え、社会に影響を与えることができるようになるには、(言語の最も発明しやすい部分であるにもかかわらず)物理的な実体詞の発明だけに関して、言語がまだどれほど大きな道のりを歩まなければならないかを考えるよう懇願する。数字、抽象的な単語、アオリスト、その他すべての動詞の時制、助詞、構文、命題と論証の接続方法、談話のすべての論理を形成する方法を発見するために、どれほどの時間と知識が必要であったかを考えてみてほしい。私自身は、一歩一歩増える難問に怯え、言語が単に人間的な手段によって誕生し確立されたものであることの不可能性がほとんど実証されていることを確信しているので、この難問を論じる仕事は、どなたかお好きな方にお任せしなければならない。”言語を発明するためにすでに形成された社会と、社会を形成するためにすでに発明された言語と、どちらが最も必要だったのだろうか?”
しかし、これらの起源が不可思議なものであったとしても、少なくとも、自然が人間同士を互いの欲求によって結びつけ、言葉を簡単に使えるようにするために取った配慮の少なさから、自然が人間を社交的にするために行ったことがいかに少ないか、また、人間自身がそうなるために行ったことに自然が貢献したことがいかに少ないかを推測することはできる。実際、このような原始的な状態において、一人の人間が他の人間の助けを必要とする機会は、一匹のサルや一匹のオオカミが同じ種の他の動物の助けを必要とする機会よりも多いはずである。また、仮にそうだとして、どのような動機で他の動物が自分を助けるようになるのだろうか。あるいは、この最後のケースにおいて、援助を求める者と援助を求められる者が、その条件についてどのように合意することができるだろうか。このような状態であったなら、人間は最も惨めな生き物であったであろうと、著者たちはしきりに語っている。そして、私が証明したように、このような状態から抜け出そうとする欲求も機会もなく、長い年月を過ごし続けたに違いないというのが真実だとすれば、このような彼らの主張は、自然に対する非難を正当化するのに役立つだけで、自然がこのように構成した存在に対する非難にはならないだろう。しかし、この悲惨という言葉を私が十分に理解するならば、この言葉には何の意味もないか、あるいは苦痛を伴う欠乏、身体や魂の苦痛の状態以外には何の意味もない。では、心が完全な平安を享受し、肉体が完全な健康を享受している自由な存在にとって、どのような惨めさがあり得るのか、私は知りたいと思う。また、市民生活と自然生活のどちらが、それを享受する者にとって耐え難いものになりやすいだろうか。市民生活では、自分の存在に不満を抱かない人に出会うことはほとんどない。神と人間の掟の力を合わせても、この無秩序に歯止めをかけることはできない。自由な野生人の中に、生に不満を抱き、自分に暴力を振るうような誘惑に駆られた者がいただろうか。したがって、本当の不幸をどちらの側に置くべきか、あまり誇りを持たずに判断しよう。それどころか、知識の閃光に眩惑され、情熱に苛まれ、自分が置かれている状態とは異なる状態を推理する野生人ほど不幸なものはなかったに違いない。彼が潜在的に享受していた能力が、それを発揮する場面に応じてのみ発達するようなものではなかったのは、非常に賢明な摂理の結果であった。自然状態で生きるために必要なものは、本能の中にしかなかった。教養ある理性の中には、社会で生きるために必要なものがかろうじてある。
一見したところ、この状態では人間同士の間に社会的な関係もなく、義務も知られていなかったので、善人にも悪人にもなりえず、悪徳も美徳もなかったように見えるが、この言葉を身体的な意味でとらえ、個人における悪徳をその人の保存に有害となりうる資質と呼び、美徳をその人の保存に貢献しうる資質と呼ばなければならない。その場合、自然の単純な衝動に対して最も抵抗しない者を、最も徳の高い者と考えざるを得ない。しかし、これらの用語の通常の意味から逸脱することなく、このような状況についてわれわれが下すであろう判断を保留し、偏見に注意するのは、天秤を手にして、文明人の間で美徳と悪徳のどちらが多いかを調べるまでにしておくのが適切である。あるいは、文明人の理解力の向上が、彼らがなすべき奉仕についてよりよく知るようになるのに比例して、彼らが相互に与える損害を補うのに十分であるかどうか。あるいは、全体として、互いに恐れることも期待することもない状態の方が、普遍的な従属に服従し、見返りを与える義務があるとは考えない人々の善意にすべてを依存せざるを得ない状態よりも、はるかに幸福ではないだろうか。
しかし何よりも、ホッブズと同じように、人間は善の観念を持たないから生まれつき悪人に違いない、と結論づけることに気をつけよう。徳が何であるかを知らないから、悪徳なのだ。人間は自分の種族に奉仕することを常に拒否する。自分が欲するものすべてに対して正当に主張する権利によって、彼は愚かにも自分自身を全宇宙の所有者とみなしている。ホッブズは、近代的な自然権の定義には欠点があることをはっきりと見抜いていた。しかし、ホッブズ自身の定義から導き出される結果は、ホッブズが理解する意味では、自然権も同様に例外的なものであることを示している。この著者は、自分自身の原則から論じれば、自然状態は、自分自身の保身のための配慮が他人の保身の妨げになることが最も少ない状態であり、当然、平和にとって最も好ましい状態であり、人類にとって最も適した状態であったと言うべきである。ところが彼は、野生人が自分の身を守るためにとるべき配慮の対象として、社会の営みであり、法律を必要なものにしている無数の情念の満足を、不注意にも認めてしまったために、まったく逆のことを主張している。悪人は逞しい子供である、と彼は言う。しかしこれは、野生人が頑健な子供であることの証明にはならない。仮にそうだと認めたとして、この哲学者はその譲歩から何を推し量ることができるだろうか。もしこの男が頑健なとき、弱々しいときと同じように他人を頼りにしていたとしたら、彼が罪を犯さないような過ちはないだろう。母親が自分に乳房を与えるのを少しばかり遅らせても、彼は母親を殴ることを何とも思わないだろう。また、弟の中で最初に自分にちょっかいを出したり、邪魔をしたりした者には、反省することなく爪を立て、噛みつき、絞め殺すだろう。しかし、自然状態において、強健であることと依存的であることは、相反する2つの仮定である。人間は、依存するときは弱く、強くなる前は自分の主人である。ホッブズは、われわれの法学者がふりをするように、野生人が理性を働かせることを妨げる同じ原因が、ホッブズ自身がふりをするように、野生人がその能力を悪用することを妨げることも同時に妨げているとは考えなかった。つまり、野生人は善であることが何であるかを知らないからこそ、悪ではないと言えるのである。というのも、彼らが悪を行うのを妨げているのは、理解力の発達でも、法の抑制でもなく、情熱の平静と悪に対する無知だからである。その徳の認識においてである。ホッブズから逃れたもう一つの原理がある。それは、ある場合に、自己愛の盲目的で衝動的な暴走や、その情熱が現れる前の自己保存の欲求を和らげるために人間に与えられたものであり、自分に似た生き物が苦しむのを見るのを生来忌み嫌うことによって、人間が自然に私的な幸福を追求する熱意を和らげるものである。人間の美徳を最も情熱的に否定する者が否定しえない唯一の自然な美徳、すなわち、人間のように弱く、多くの悪に陥りやすい生き物にふさわしい性質である憐憫の情を、人間に認めることに、私はきっと反論されないだろう。この美徳は、人間にとって、あらゆる反省をもたらすので、より普遍的であり、しかも有用である。また、獣自身がその兆候を示すこともあるほど、自然なものである。子に対する母親の優しさは言うまでもない。子供たちを危険から守るために、危険に直面することもある。馬が生体を踏みつぶすのを、どれほど嫌がることだろう。ある動物が、同じ種の別の動物の死骸のそばを素通りすることはない。死んだ仲間に一種の供養を施す者さえいる。また、屠殺場に入った牛の悲痛な鳴き声は、そこで目にする恐ろしい光景が牛に与えた印象を物語っている。ミツバチの寓話の作者が、人間を慈悲深く分別のある存在であると認めざるを得なかったのは、喜ばしいことである。そして、それを確認するために彼が提示した例では、彼の冷淡で繊細な文体を脇に置いて、両手を縛られたまま、猛獣が母親の腕から子供を引きちぎり、その歯で柔らかい手足をすり潰し、爪で罪のない犠牲者の脈打つ内臓を引き裂くのを見なければならない人間の哀れな絵を、私たちの前に置いている。このような観客は、自分には関係のない出来事を目の当たりにして、どんな恐ろしい感情を抱くことだろう。気絶した母親や息絶えた幼児を助けることができないことに、どんな苦悩を感じないだろうか。
このような自然の純粋な運動は、あらゆる思慮分別に先立つものである。このような自然な憐憫の力は、最も堕落した風俗の持ち主であっても、いまだ消し去ることが困難なものである。マンデヴィルは、人間はどんなに社会的であっても、自然が理性を助けるために憐れみを与えなければ、決して怪物以上にはなれなかったであろうことをよく理解していた。しかし、この性質だけから、人類が持っていることに異論を唱えたいすべての社会的美徳が生まれることを、彼は理解していなかった。実際、寛大さとは何か、冷静さとは何か、人間らしさとは何か。博愛や友情でさえ、正しく判断すれば、特定の対象に向けられた絶え間ない憐憫の効果に見えるだろう。ある人が苦しまないようにと願うのは、その人が幸福であるようにと願うことにほかならない。同情とは、苦しんでいる人の立場に立つという感情にすぎず、野生人には曖昧だが活動的な感情であり、文明人には発達しているが眠っている感情である。実際、同情は、あらゆる種類の苦痛を目の当たりにした動物が、その苦痛に耐えている動物と自分を同一視すればするほど、いっそう活発になるに違いない。この同一化は、自然状態では理性状態よりも限りなく完璧なものであったに違いない。自己愛を生むのは理性であり、自己愛を強めるのは反省である。理性は人間を自分の中に閉じこもらせる。人間を悩ましたり苦しめたりするあらゆるものから遠ざけさせるのも理性である。哲学こそが、人と人とのつながりを破壊する。苦難にあえぐ他人を見ると、「お前は滅んでもかまわない。哲学者の穏やかな眠りを妨げ、彼をベッドから追い出すことができるのは、種全体を脅かす悪にほかならない。ある人が窓の下で平気で他人を殺すかもしれない。哲学者がすべきことは、自分の耳に手を当て、自分の中で驚いている自然が、自分を不幸な被害者と同一視するのを妨げるために、自分自身と少し議論することだけである。野生人はこの立派な才能を欲している。そして知恵と理性がないために、人間性の最初のささやきに従う愚かな用意ができている。暴動や通りでの乱闘では、民衆は群がり、思慮深い人間はこっそりと逃げ出す。人民の残滓である貧しい籠や手押し車女たちが戦闘を分け合い、穏やかな人民が互いの喉を切り裂くのを妨げるのだ。
それゆえ、憐れみが自然な感情であることは確かである。憐れみは、個々人の自己愛の活動を和らげ、種全体の相互保存に貢献する。この憐憫の情こそが、苦境に陥っている人を見かけると、何の反省もなく、その人を助けようと急き立てるのである。自然状態において、法律やマナーや美徳のために立ち上がるのはこの憐れみである。逞しい野生人が、か弱い子供や病弱な老人から、苦痛と苦労の末に手に入れた生活費を略奪するのを、他の手段で自活する見込みが少しでもあるなら、常に妨げるのはこの憐れみである。この憐憫の情こそが、「自分が他人にそうしてもらいたいと思うように、他人にもそうせよ」という、議論的正義の崇高な格言の代わりに、「他人の幸福に対してできる限り偏見を持たずに、自分の幸福を慮る」という、完璧さでは大いに劣るが、おそらくはより有用な、自然な善意の別の格言をすべての人に与えるのである。一言で言えば、紡ぎだされた立派な議論ではなく、この自然な感情にこそ、教育の格言とは関係なくとも、すべての人が悪を行うことに躊躇する原因を探さなければならないのである。ソクラテスや彼と同じような天才たちが、理性で自らを徳に導くことは特別な幸福かもしれないが、人類という種が、種を構成する個人の理性にその存続を全面的に依存していたとしたら、とっくの昔に消滅していただろう。
情熱がこれほどまでに飼いならされ、これほどまでに健全な抑制が効いていれば、人間は邪悪というよりもむしろ野生的であり、他の動物に危害を加えるよりもむしろ、危害を加えないように注意するものであり、危険な不和にさらされることはなかった。彼らは互いに何の連絡も取らず、当然、虚栄心も尊敬も軽蔑も知らない。私たちが「ムーム」と「トゥーム」と呼ぶものの観念も、正義の真の観念もなかった。彼らは、自分たちが受けた暴力は、容易に修復できる悪であって、罰に値する傷害ではないと考えていた。また、投げられた石を噛む犬のように、機械的で無計画な復讐を夢見ることもなかった。彼らの争いが流血を伴うことはめったになく、生計以上に重大な利害関係によって引き起こされることもなかった。しかし、もっと危険な争いの対象がある。
人間の心をかき乱す情念の中に、男女を互いに必要な存在にする、熱く激しい性質のものがある。あらゆる危険を蔑ろにし、あらゆる障害を打ち砕き、その興奮のあまり、保存することを運命づけられた人間という種を破壊することが適切であるかのように思われる恐ろしい情熱である。この無法で残忍な激情に身を任せ、慎みもなく、恥もなく、毎日血で血を洗う情熱の対象について争っている人間は、いったいどうなってしまうのだろうか。
まず第一に、激情が激しければ激しいほど、それを抑制する法律が必要であることを認めなければならない。しかし、このような情熱が日常的にわれわれの間に引き起こしている無秩序や犯罪は、そのために法律が不十分であることを十分に裏付けている。というのも、たとえ法律がこれらの悪を抑制することができたとしても、それは法律自身が生み出した悪の進行を食い止める以上のものではないからである。
まず、愛と呼ばれる情熱において、社会的なものと身体的なものを区別することから始めよう。身体的な部分とは、男女が互いに結ばれるよう促す一般的な欲望のことである。社会的な部分とは、その欲望を決定づけ、他のすべての欲望を排除して特定の対象に執着させる、あるいは少なくとも、その特定の対象に対してより大きなエネルギーを与えるものである。さて、愛の道徳的な部分が、社会によって生み出された偽りの感情であり、女たちが、自分たちの帝国を確立し、従うべき性に対して指揮権を確保するために、細心の注意と関心をもって作り上げたものであることは、容易に理解できる。このような感情は、野生人には持ち得ない美や長所に関するある種の観念と、野生人には持ち得ない比較の上に成り立っているため、野生人の中に存在するはずがない。というのも、彼の精神が、規則性や比率といった抽象的な観念を形成する状態になかったように、彼の心も、賞賛や愛といった感情には感受性がない。彼は、自然が彼に植えつけた気質だけに耳を傾け、決して身につけようとしない嗜好には耳を傾けない。そして、どの女も彼の目的に応える。
恋愛において身体的なものだけに限定され、恋愛に対する食欲を鋭くすると同時に、そうした食欲を満足させることの難しさを増大させるこうした嗜好を知らなくて十分幸せなのだから、自然状態にある人間は、その情熱の激しい発作に見舞われることも少なくなるに違いなく、当然、その結果、人間同士の激しい争いも少なくなるに違いない。われわれの間に多くの破壊をもたらす想像力は、野生人の心には決して語りかけない。彼らは、自然の衝動を穏やかに待ち、その衝動に選択の余地なく、怒りよりも喜びをもって従う。その欲望は、望むものに対する必要性よりも決して長くない。
それゆえ、愛そのものにさえ、また他のすべての情熱にさえ、しばしば人間にとって致命的なものとなるような衝動的な熱情を加えているのは、社会だけであること以上に明白なことはない。野生人が残忍さを満たすために絶えず殺し合いをしていると表現するのは、経験とは正反対であり、世界で最も自然状態から逸脱していない人民であるカリブ人は、どこまでも平和的で、嫉妬の対象にもなりにくい。
四季を通じて鶏舎を血で覆い、春には特に、雌雄を争わせるときの騒音で森を再び鳴り響かせる雄たちの戦いから、いくつかの種の動物に関して導き出されるであろう推論については、まず、自然が雌雄の相対的な力関係において、我々の間に存在するものとは異なる関係を明らかに築いた種をすべて除外することから始めなければならない。従って、雄鶏の戦いから、人間という種に影響を及ぼすような帰納法を立てることはできない。割合がよりよく観察される種では、このような戦いは、雄に比べて雌の数が少ないこと、あるいは、雌が雄の呼びかけを常に拒否する排他的な間隔があることに完全に起因しているに違いない。メスがオスを認めるのが1年のうち2カ月だけだとしたら、メスの数が6分の5になったのと同じことである。野生人の間でさえ、メスが他の動物のメスと同じように、情熱的で無関心な時期があることが観察されたことはない。しかも、これらの動物の中には、種全体が一度に火を噴き、何日かの間、混乱、騒乱、無秩序、流血以外には何も見られないものもある。愛が周期的に繰り返されることのない人間の種にはない状態だ。したがって、ある種の動物が雌の所有権をめぐって争うことから、自然状態の人間も同じであると結論づけることはできない。また、このような争いが他の種を滅ぼすことはないとしても、私たちの種にとって致命的なものにはならないと考える余地は少なくとも同じくらいある。社会的な道徳がまだある程度尊重されているにもかかわらず、恋人たちの嫉妬や夫たちの復讐心が、毎日のように決闘や殺人、さらにはもっとひどい犯罪を生み出している国々ではなおさらである。永遠の貞節の義務は、不倫を助長するだけである。また、不貞と名誉の掟は、必然的に不純を増長させ、中絶を増加させる。
結論から言おう。野生人は、産業もなく、言葉もなく、定まった住居もなく、戦争もあらゆる社会的関係も知らないに等しい、 このような状況に置かれた野生人は、そのような状況に適した知識も感情も持たず、自分の本当の必需品にしか気づかず、自分の関心のあること以外には目を向けず、虚栄心と同じくらい理解力も進歩しなかったと結論づけよう。もし何か発見があったとしても、自分の子供さえ知らなかったのだから、それを伝えることはなおさらできなかった。芸術は発明家とともに滅びた。教育も改良もなかった。世代が世代を継いでも何の役にも立たなかった。そして、すべての人が常に同じ地点から出発したため、最初の時代の無作法と野蛮さのまま、何世紀も続いた。種は老いさらばえたが、個々人はまだ子供の状態にとどまっていた。
私がこの原始的な状態の仮定をこれほどまでに拡大解釈したとすれば、それは、私がどのような古代の誤りや根深い偏見を排除しなければならないかを考慮し、根底から掘り下げ、自然状態の真の姿の中で、自然の不平等さえも、この状態では、我々の作家がそれに見なすような現実性や影響力にどれほど及ばないかを示すことが、私の義務であると考えたからである。
実際、人間を区別する違いのうち、幾つかは自然なものと見なされているが、それは単に習慣のなせる業であり、社会的な生き方をしている人間が採用している生活の種類の違いに過ぎないことを、我々は容易に理解することができる。このように、強健な体質や繊細な体質、そしてそれに起因する強さや弱さは、その人の身体の原始的な体質というよりも、その人が育ってきた環境の違いによって生み出されることが多い。精神の力についても同様である。教育は、教養のある精神とそうでない精神との間に差異を生むだけでなく、教養に比例して最初の精神に見られる差異さえも増大させる。巨人と小人が同じ道を歩むとしよう。巨人は一歩進むごとに、小人よりも新たな優位性を獲得する。さて、自然社会状態における人間と人間との差が、社会状態よりもどれほど小さいか、また、あらゆる不平等が人間という種の自然的不平等をどれほど増大させるか、容易に想像できるであろう。
しかし、自然がその賜物の分配において、彼女に帰属するすべての選好に本当に影響を及ぼすはずであるにもかかわらず、彼女の弟子たちの間にいかなる種類の関係も認められない物事の状態において、最も恵まれた者が、彼女の偏愛から、他の者の偏見のために、どのような利点を得ることができようか。愛のないところに、美が何の役に立つというのか。言葉を発しない人民や、取り交わすべき事柄のない人民のために、機知が何の役に立つというのか。作家たちは常に、強い者が弱い者を虐げる、と叫んでいる。しかし、彼らが抑圧という言葉で何を意味するのか、説明させてほしい。ある人は暴力で支配し、別の人は自分の気まぐれに従わされて呻く。しかし、野生人の頭の中には、支配や隷属という言葉の意味を理解することすら難しいだろう。ある男が、他の男が集めた果物や、他の男が仕留めた獲物や、他の男が隠れ家として使っている洞窟を奪うことはあるかもしれない。しかし、その人から服従を要求することなどありうるだろうか。また、何も持っていない人間の間に、どのような依存の鎖がありうるだろうか。一つの木から追い出されたら、別の木を探すしかない。ある場所が私にとって不安な場所であったとしても、別の場所に宿をとることを妨げるものがあろうか。しかし、もし私よりはるかに優れた力を持ち、しかも邪悪で、怠惰で、野蛮な男に出会ったとしよう。彼は一瞬たりとも私から目を離すまいと決意し、少しでも仮眠を取る前に私を拘束しなければならない。つまり、彼が避けようとするものよりも、彼が私に与えるものよりも、はるかに大きな悩みに自ら進んで身をさらさなければならないのだ。そして結局のところ、彼には警戒心を少しでも減らそう。突然の物音には、別の方向に顔を向けるようにしよう。私はすでに森に埋葬され、枷は解かれ、彼は二度と私を見ることはない。
しかし、このような詳細にこれ以上こだわるまでもなく、隷属の絆は、人間が互いに依存し合い、互いを結びつける互恵的な必要性によって形成されるにすぎないのだから、ある人間が別の人間を奴隷にすることは、まずその人間を、奴隷主の援助なしには生きていけない状態にまで追い込まない限り、不可能であることを誰もが理解するに違いない。このような状態は自然状態には存在しないので、すべての人を自分の主人にしなければならず、最強の法はまったく無駄で役に立たない。
自然状態において人間と人間の間に存在しうる不平等が、ほとんど想像を絶するものであり、ほとんど影響を及ぼさないことを証明したところで、私は次に、その起源を示し、人間の精神の連続的な発展におけるその進歩をたどらなければならない。完全性、社会的美徳、その他の能力は、自然人が潜在的に持っていたものであり、それ自体では決して発達させることはできない。種を堕落させることによって人間の理解力を完成させ、社交的にすることによって邪悪な存在にし、非常に遠い時代から最終的に人間と世界を現在のような状態に導いたかもしれない、さまざまな事故について考察し、まとめなければならない。
私がこれから述べる出来事は、さまざまな方法で起こったかもしれないので、私が選択したのは単なる推測にすぎない。しかし、これらの推測が、物事の本質から導き出される最も可能性の高いものであるだけでなく、真理を発見するための唯一の手段である以上、私の推測から導き出される結果は、単なる推測の域を出ないだろう。なぜなら、私が今確立した原則に基づけば、同じ結果を私に与えず、同じ結論を導き出さないような他の体系を形成することは不可能だからである。
このことは、時間の経過が出来事のわずかな真実性を補う方法についての私の考察を、より簡潔にすることを認めてくれるだろう。非常に些細な原因が間断なく作用するときの驚くべき力について。ある仮説を打ち砕くことは一方では不可能であるが、他方では、事実が持つことが許される程度の確実性を仮説に与えることはできない。2つの事実が、現実のものとして、未知の、あるいはそのように考えられている中間的な事実の連鎖によって結ばれていると提案されたとき、それらを実際に結ぶ可能性のある事実を提供することが、歴史の仕事であることについて。哲学の仕事は、歴史学が沈黙しているときに、同じ目的を果たす可能性のある類似の事実を指摘することである。さらに、出来事に関する類似性の特権を利用して、事実を一般に想像されているよりもはるかに少ない数の異なるクラスに分類することである。このような目的は、私の裁判官たちの検討に供するだけで十分である。一般的な読者がこれらを検討する手間を省くような方法で私の調査を行っただけで十分である。
第二部
一区画の土地を囲んだ後、「これは私のものだ」と自分の頭で考え、それを信じてくれる素朴な人民を見つけた最初の人間こそ、市民社会の真の創始者である。杭を打ったり、溝を埋めたりした人が、仲間に叫んだなら、どれだけの犯罪が、どれだけの戦争が、どれだけの殺人が、どれだけの不幸と恐怖が、人類を救ったことだろう。この詐欺師の言うことに耳を貸してはならない。大地の果実は等しく私たち全員のものであり、大地そのものは誰のものでもないことを忘れては元も子もない!しかし、物事がこのような状況に至り、このままでは長くは続かなくなったことは大いに考えられる。というのも、この所有権という観念は、いくつかの先行する観念の上に成り立っており、それらの観念が次々と徐々に生まれてくるしかないため、人間の精神に一度に形成されることはなかったからである。人間は大きな進歩を遂げたに違いない。この自然状態の最後の段階に到達するまでに、彼らは産業と知識の大きなストックを獲得し、それを時代から時代へと伝え、増やしてきたに違いない。そこで、もう少し高いところから物事をとらえ、このゆっくりとした出来事の連続と精神的向上を、一つの視点に集め、最も自然な順序で考えてみよう。
人間の最初の感情は自分の存在に対するものであり、彼の最初の関心はそれを維持することであった。大地の産物は、人間が必要とするあらゆる援助を与えてくれた。本能がそれらを利用するよう促した。さまざまな食欲が、さまざまな時代にさまざまな存在様式を経験させたが、その中に、自分の種を永続させようと刺激するものがあった。そしてこの盲目的な性向は、純粋な愛情や情愛のようなものはまったくなく、動物的な行為以外の何ものでもなかった。そして子供でさえも、母親の助けを必要としなくなった瞬間に、母親との結びつきを失った。
それが幼い人間の状態だった。最初は純粋な感覚だけにとらわれた動物の生活であり、自然からの贈り物を強要しようなどとは考えもしなかった。しかし、すぐに困難が訪れ、その乗り越え方を学ぶ必要があった。樹木の高さが高く、木の実が届かない。同じ果物が好きな他の動物たちとの競争。彼の命を狙う多くの動物たちの獰猛さ。このように、彼には体を動かすことを余儀なくされる状況がたくさんあった。活動的で、足が速く、戦いのために頑丈になる必要があった。石や木の枝といった自然の武器は、すぐに彼の助けとなった。彼は自然の障害を乗り越え、他の動物と必要な場合に争い、他の人間とさえ自分の生活費を争うことを学んだ。
人間の種が増え、その規模が拡大するにつれて、その苦痛も増大した。土壌、気候、季節の違いから、人々は生活様式に何らかの違いを認めざるを得なかったかもしれない。凶作、長くて厳しい冬、灼熱の夏は、大地の果実すべてをカラカラに乾かしてしまい、並々ならぬ労力を必要とした。海辺や川岸では、釣り糸と釣り針を発明し、漁師となり魚食人となった。森林では弓と矢を作り、狩猟者や戦士となった。寒い国では、殺した獣の皮で身を覆った。雷や火山、あるいは幸運な事故が彼らを火に慣れさせ、冬の厳しさに対抗する新たな手段となった。彼らはこの元素を保存する方法を発見し、次にそれを再現する方法を発見し、最後に、それまでは死骸から生で食べていた動物の肉を、火で調理する方法を発見した。
このように、さまざまな存在を自分自身に、そして互いに繰り返し適用することで、人間の精神にはある種の関係という観念が自然に生まれたに違いない。私たちが「大きい、小さい、強い、弱い、速い、遅い、怖い、大胆」などの言葉で表現するこれらの関係は、時折、ほとんど意識することなく比較され、人間の中にある種の反省というか、むしろ機械的な慎重さを生み出し、自分の保全と安全に最も必要な予防措置を指し示した。
このような発達がもたらした新たな光は、彼にそれを認識させることによって、他の動物に対する彼の優位性を高めた。彼は他の動物を陥れようとした。千のトリックを仕掛けた。力でも素早さでも彼を凌駕するものが何頭もいたが、やがて彼は、自分に役立つものの主人となり、自分に害をなすものの大敵となった。こうして、彼が自分自身を初めて見たとき、彼の中に最初の誇りの感情が生まれた。存在のさまざまなランクを区別する術をほとんど知らなかった時代に、自分の種を動物全般のなかで第一のランクとすることで、特に自分の種のなかの個体として、それをふりかざす準備を遠くからしていたのである。
彼にとって、他の人間は我々にとってそうであるような存在ではなく、他の動物よりも交流が少なかったが、彼の観察において見落とされることはなかった。やがて、彼らや自分自身と彼の女性との間に見出されるかもしれない適合性が、彼に、自分が知覚していないものを判断させたのである。そして、同じような状況下で自分も同じように行動していることから、彼らの考え方や行動の仕方は、自分自身とまったく同じであると結論づけた。この重要な真理が彼の精神に深く刻まれると、彼は論理と同じくらい確かな予感によって、しかもずっと早く、自分の安全と利益のために、彼らに対して守るべき最良の行動規範に従うようになった。
幸福を愛することがすべての人間の行動の唯一の原理であることを経験によって教えられた彼は、共通の利益によって仲間の助けを借りることが許される少数の場合と、利害の競争によってそれが疑われる正当な少数の場合とを区別することができる状態にあることに気づいた。前者の場合、彼は同じ群れの中で彼らと団結するか、あるいはせいぜい、メンバーの誰にも義務を負わせず、それを生み出した一時的な必要性よりも長続きしない、ある種の自由な結社によって団結する。第二の場合、誰もが自分の私利私欲のために、自分が十分に強いと思えば公然たる武力によって、あるいは自分が暴力を行使するには弱すぎると思えば狡猾さと演説によって、自分の利益を目指した。
このように、人々は互いの約束と、それを果たすことの利点について、無意識のうちに大まかな考えを得ていたかもしれないが、それは彼らの現在の、分別のある利害が必要とする範囲内でのことであった。先見の明などまったくなく、遠い未来のことで頭を悩ませるどころか、翌日のことなどほとんど考えもしなかった。鹿が捕れるのだろうか?成功するためには、自分の持ち場に忠実に立たなければならないことは誰もがわかっていた。しかし、仮に一頭のウサギが彼らの手の届くところをすり抜けたとしたら、彼は何のためらいもなくそのウサギを追いかけ、獲物を捕らえたときには、仲間に獲物を逃がさせたことを決して悔やまなかったに違いない。
このような交流には、ほとんど同じように群れをなすカラスやサルよりも洗練された言葉が必要ないことは容易に想像できる。そして、どの国でも、これらにいくつかの明瞭で慣習的な音を加えることによって、特殊な言語が生まれた。時の流れの速さ、語らなければならないことの多さ、最初の改良のほとんど感知できない進歩によって、私のペンはまっすぐになり、無数の時代を矢のように飛んでいく。
やがて、こうした最初の改良によって、人間はより大きな速度で進歩することができるようになった。産業は、精神がより啓発されるのに比例して、完全なものとなっていった。人間は、最初の木の下で眠ったり、最初の洞窟に避難したりすることをすぐにやめて、鋤や手斧に似た硬くて鋭い種類の石に火をつけ、地面を掘ったり、木を切り倒したり、その枝で小屋を建てたりした。これが最初の革命の時代であり、一族の確立と区別を生み出し、財産というものを導入した。とはいえ、強い者が最初に自分たちで小屋を作り、それを守ることができると知っていたのだから、弱い者は彼らを追い出そうとするよりも、それを真似た方がはるかに短時間で安全であると判断したのだろう。また、すでに小屋を備えていた人々については、隣人の小屋を奪おうとする大きな誘惑はなかった。そのうえ、自分がその小屋の主人になるためには、現在の占有者と激しい争いに身をさらさなければならない。
心の最初の進展は、夫と妻、両親と子供たちがひとつ屋根の下に結ばれた新しい状況の影響であった。一緒に暮らす習慣は、夫婦愛と父性愛という、人類が知る最も甘美な感情を生み出した。どの家族も小さな社会となり、相互の愛着と自由が唯一の絆となって、より強固に結ばれた。そして、それまで同じ生活様式であった男女が、異なる作法や習慣を取り入れるようになった。女たちはより定住的になり、家にいて子供たちの世話をするようになり、男たちは家族全員の生活費を求めて外国を放浪するようになった。両性も同様に、少しのんびりと暮らすことで、いつもの獰猛さと頑丈さをいくらか失い始めた。しかし、一方では個々人が野獣と個別に交戦することができなくなったとしても、他方では野獣に対して共通の抵抗を行うことが容易になった。
このような新しい状況において、人間の生活は単純で孤独であり、欲求は限られており、それを満たすための道具を発明したため、人間には多くの余暇ができた。そしてこれが、彼が不注意にも自らに課した最初の軛であり、彼が自分の子供たちに用意した災いの最初の原因であった。このようにして心身ともに軟弱になり続けただけでなく、これらの便利なものは、使用することによって、喜ばせる適性をほとんど失い、本当の欲求にまで堕落したため、それらを失うことは、それらを所有することが快適であったことよりも、はるかに耐え難いものとなった。失うことは不幸であり、所有することは幸福ではない。
また、さまざまな特殊な原因によって言語が伝播し、日に日にその必要性が高まることで言語の進歩が加速されたかもしれない。大洪水や地震が人の住む地域を水や断崖絶壁で囲んだり、大陸の一部が地球の回転によって引き裂かれ、島々に分かれたりした。こうして集められ、一緒に暮らすことを余儀なくされた人々の間では、大陸の森を自由に放浪していた人々よりもずっと早く、共通の慣用句が生まれたに違いない。したがって、このようにして形成された島々の住民が、最初の航海の本書の後に、われわれの間に音声の使用をもたらした可能性は非常に高い。そして、少なくとも、大陸の住民が何も知らないうちに、島々で社会と言語が始まり、そこで完全性を獲得した可能性は非常に高い。
今、すべてが新しい様相を呈し始めた。以前は森の中をさまよっていた人々が、より定住的な生活様式をとることによって、次第に群れをなし、いくつかの別々の集団にまとまり、ついにはどの国でも、法律や規則によってではなく、統一された生活様式、同じ食料、気候の共通の影響によって、性格や風俗において統一された、別個の国家を形成するようになる。永続的な近隣関係は、最終的には必ず、異なる家族の間に何らかのつながりを生み出すに違いない。自然が要求する一過性の交易は、隣接する小屋に住む男女の若者の間に、すぐに別の種類の交易を生み出した。人はさまざまな対象について考え、比較するようになる。やがて、長所や美しさについての考えを身につけ、それがやがて選好の感情を生み出す。頻繁に顔を合わせることで習慣が身につき、いつも顔を合わせないと気が済まなくなる。優しくて好意的な感情が魂に入り込み、ほんの些細な反対によって、最も激しい怒りに巻き込まれる。嫉妬が愛に燃え上がる。不和が勝利する。最も穏やかな情熱は、それを鎮めるために人の血を犠牲にすることを必要とする。
思想と感情が互いに引き継がれ、頭と心が自らを動かすのに比例して、人は元の荒々しさを振り払い続け、そのつながりはより親密で広範囲に及ぶようになる。やがて彼らは大木の周りに集まり始める。愛と余暇の真の産物である歌と踊りは、こうして集まった気遣いから解放された男女の娯楽、いやむしろ職業となる。誰もが、他の人たちを観察し、自分も観察されたいと願うようになる。そして、世間の尊敬が価値を持つようになる。最もよく歌う者、最もよく踊る者。最もハンサムな者、最も強い者、最も器用な者、最も雄弁な者が、最も尊敬されるようになる。これが不平等への第一歩であり、同時に悪徳への第一歩でもあった。こうした最初の選好から、一方では虚栄と軽蔑が、他方では羨望と羞恥が生まれた。そして、これらの新しい澱によって生じた発酵は、やがて幸福と無垢にとって致命的な組み合わせを生み出した。
人々が互いに価値を定め、尊敬とは何かを知るようになるやいなや、それぞれがそれを主張し、もはや誰一人としてそれを拒むことはできなくなった。それゆえ、野生人の間でさえ、礼節と礼儀を重んじるようになった。それゆえ、自発的な傷害はすべて侮辱となった。傷害として生じる災難のほかに、侮辱された当事者は、その災難そのものよりも耐え難い侮辱を、その個人に対して見出すに違いなかったからである。こうして、人は誰でも、他人が自分に対して示す軽蔑を、自分が自分自身に対して置く価値に比例して罰するようになり、復讐の効果は恐ろしいものとなり、人は残忍で残酷であることを学んだ。われわれが知っているほとんどの野生人は、まさにそのような境地に達していた。多くの著者が、人間は生まれつき残酷であり、それを取り戻すには規則正しい警察制度が必要だと性急に結論づけたのは、こうした考えを十分に区別せず、これらの人民が自然の最初の状態からどれほどかけ離れていたかを観察しなかったためである。ところが、自然によって、獣の愚かさからも文明人の悪質な良識からも等しい距離に置かれている原始状態の人間ほど、穏やかなものはない。また、本能と理性によって、自分を脅かす災いから身を守ることに等しく縛られ、自然の思いやりによって、他人に危害を加えることを禁じられ、自分が受けたものを返すことさえほとんどない。賢明なロックの公理によれば、財産がないところには傷害もないのである。
しかし、現在形成されている社会と、現在確立されている人間関係は、原始的な体質から生まれたものとは異なる資質を人間に要求していることに注意しなければならない。人間の行為に道徳観が浸透し始め、法律が制定される前は、すべての人間が自分が受けた傷害の唯一の裁き手であり、復讐者であったため、純粋な自然状態に適した善良な心は、幼児社会には決して適合しなかった。罪を犯す機会が多くなるのと同じ割合で刑罰も厳しくなり、復讐への恐怖が、弱すぎる法の抑制に力を加えることが必要だった。こうして、人間は忍耐力が弱くなり、自然な慈悲の心にもすでに多少の変化が生じていたとはいえ、人間の能力が発達したこの時期は、原始的な状態の怠惰と、自己愛の小心な活動とのちょうど中間を保っており、最も幸福で永続的な時代であったに違いない。この状態をよく考えれば考えるほど、革命の影響を最も受けにくく、人間にとって最良の状態であったこと、そして、公共の利益のためには決して起こってはならない致命的な事故以外に、人間をこの状態から引きずり出すものはなかったことが確信できるだろう。野生人のほとんどがこのような状態で発見されており、人類はこのような状態に留まるように形成されたこと、この状態こそが世界の本当の若さであること、それ以降の改良はすべて、見かけ上は個体の完成に向かっているが、実際には種の衰弱に向かっている多くのステップであったことを裏付けているように思われる。
人間が素朴な小屋に満足している限り、人間はその小屋に閉じこもっている。他の動物の皮で作った衣服と、その皮を組み合わせるための棘や魚の骨の使用にとどまっている限り。羽毛や貝殻を十分な装飾品とみなし、体にさまざまな色を塗ったり、弓矢を改良したり装飾したり、鋭利な石で小さな漁船を作ったり、不器用な楽器で音楽を奏でたりすることを続けている限りは。一言で言えば、一人で仕上げられるような仕事だけを請け負い、何人もの手の共同作業を必要としないような芸術に専念している限り、彼らはその性質が許す限り、自由で、健康で、正直で、幸福に暮らし、互いに独立した交際のあらゆる楽しみを享受し続けた。しかし、ある瞬間から、ある男が他の男の援助を必要とするようになった。一人の人間が二人分の食糧を所有することが有利だと思われた瞬間から、すべての平等は消え去った。財産が生まれた。労働が必要となった。そして、無限の森が微笑みの野原となり、人間の汗で水をやる必要があることがわかり、奴隷制度と悲惨さがやがて芽を出し、大地の果実とともに成長するのが見られるようになった。
冶金と農業は、その発明がこの偉大な革命をもたらした2つの芸術である。詩人にとっては金と銀だが、哲学者にとっては鉄とトウモロコシである。そのため、アメリカ大陸の未開人には、一方も他方も未知のものであった。しかし、他の国々は、これらの技術のうち一方だけを行使し、他方を行使しない限り、野蛮な状態を維持し続けたように思われる。そしておそらく、ヨーロッパが世界の他の地域よりも早くから、とは言わないまでも、少なくとも、より絶えず、よりよく文明化されてきた最も優れた理由のひとつは、鉄が最も豊富で、トウモロコシを生産するのに最も適しているからである。
人間がどのようにして鉄について知り、鉄を使う技術について知るようになったかを語るのは、非常に難しい問題である。というのも、鉄を鉱山から掘り出し、融合のために準備しようと考えたのは、そのようなプロセスの結果がどのようなものかを知る前であったとは考えられないからだ。一方、この発見を偶発的な火によるものとする理由はあまりない。鉱山は乾燥した不毛の地や、草木が生い茂らないような場所以外には形成されないので、まるで自然がこのような禍々しい秘密を私たちに知られないように苦心していたかのように見えるからだ。従って、火山という特別な状況以外には何も残っていない。火山は、すぐに融合する金属物質を噴出し、観客に自然の営みを模倣しているように思わせたかもしれない。そして結局のところ、これほど骨の折れる仕事を引き受け、遠く離れた場所で、そこから得られるかもしれない利点に目を向けていたとは、並外れた勇気と先見の明を備えていたと考えざるを得ない。このような発見者の資質が発揮されるのは、そのような発見者の資質が発揮されるときだけである。
農耕に関しては、その原理は農耕が行われるずっと以前から知られており、樹木や植物から生計を立てることに絶えず従事していた人間が、自然が野菜の生成に用いている手段に早くから着目しなかったはずはない。しかし、彼らの産業がそのような方向に向かうのは、おそらく非常に遅い時期であった。なぜなら、土地や水辺の獲物とともに十分な食料を供給してくれる樹木が、彼らの注意を必要としなかったからである。あるいは、トウモロコシの用途を知らなかったからである。あるいは、とうもろこしを栽培する道具がなかったからだ。あるいは、将来の必需品に対する先見の明がなかったからである。あるいは、自分たちの労働の成果を他人が持ち去るのを妨げる手段が欲しかったからである。勤勉になった彼らが農業を始めたのは、尖った石や先のとがった棒を使って、自分たちの小屋の周りにあるわずかな脈や根を耕すことからだったと考えられる。トウモロコシの調理法を知り、それを大量に生産するのに必要な器具を手に入れるまでには、長い時間がかかった。この職業に就いて土地を播くためには、将来大きな利益を得るために現在何かを失うことに同意する必要があることは言うまでもない。このような用心は、すでに述べたように、朝から晩まで自分の欲しいものをほとんど予見することができない野生人の精神には、まったくそぐわないものである。
このような理由から、人類が農業に専念するためには、他の技術の発明が必要だったに違いない。鉄を溶断し鍛造する人が必要になると同時に、それを維持する人が必要になった。工業に従事する人の数が増えれば増えるほど、食糧を供給する口の数は変わらないにもかかわらず、すべての人の生活を支える手は減っていった。そして、鉄と引き換えに商品を必要とする者がいたため、残りの者はついに、鉄を商品の増殖に従属させる方法を発見した。それゆえ、一方では耕作と農業が、他方では金属を加工し、その用途を拡大する技術が生まれたのである。
大地を耕すことは、必然的に大地の分配に引き継がれ、いったん認められた財産は、正義の最初の規則となった。すべての人が自分のものを確保するためには、すべての人が何かを持たなければならないからである。さらに、人間が未来に視野を広げ始め、誰もが多かれ少なかれ失う可能性のある財を所有していることに気づくと、特に誰もが、自分が他人に与えたかもしれない損害に対して報復されないかと恐れるようになった。財産が産業以外から生まれるとは考えられないからだ。人が財産を獲得するために、自分が作ったのでもないものに自分の労働を加える以外に何ができようか。耕作者が耕した土地の生産物に対する所有権を夫に与えるのは、手の労働だけであり、少なくともその果実を収穫するまでは、土地そのものに対する所有権を与えるのである。そして、継続的な所有権を形成するこの享受は、容易に財産へと変化する。グロティウスによれば、古代人は、セレスに立法者という蔑称を与え、セレスに敬意を表して祝われる祭りにテスモルフォリアという名称を与えることによって、土地の分配が新しい種類の権利を生み出すことをほのめかした。つまり、自然法則から生じるものとは異なる財産権である。
人間の才能が平等であり、例えば鉄の使用量と商品の消費量が常に正確な比率を保っていたならば、このような状況の物事は平等のままであったかもしれない。しかし、この比率には何の支えもなかったため、すぐに崩れてしまった。最も力のある者が最も多くの労働を行った。最も器用な者は、その労働を最も有効に活用した。最も独創的な者は、その労働を軽減する方法を発見した。夫がより多くの鉄を必要とし、鍛冶屋がより多くのトウモロコシを必要とし、両者が等しく働いたとしても、一方はその労働によって多くの収入を得たが、他方はその労働によってほとんど生活することができなかった。こうして、自然な不平等が、さまざまな組み合わせから生じる不平等と無意識のうちに混在するようになり、境遇の違いによって生じる人間間の差異が、より自覚的に、より永続的な影響を及ぼすようになり、私人の境遇にも同じ割合で影響を及ぼすようになるのである。
物事がいったんこの時期に到達すれば、あとは容易に想像がつく。他の芸術の相次ぐ発明、言語の進歩、才能の試練と活用、財産の不平等、富の使用と乱用、またこれらに続くすべての詳細について説明するのを止めるつもりはない。私は、この新しい物事の秩序の中に置かれた人類を、ほんの少し見てみようと思う。
私たちのすべての能力が発達しているのを見よ。私たちの記憶力と想像力が働き、自己愛が関心を持つ。理性は活動的になる。そして精神は、それが可能な完全性の限界に達しようとしている。見よ、われわれの生まれながらの資質がすべて動き出した。財産の量や他者に奉仕する力、他者を傷つける力だけでなく、天才、美貌、強さ、演説、功績、才能などについても、すべての人の地位と状態が確立された。そして、これらは尊敬を集めることができる唯一の資質であったため、それらを持つこと、あるいは少なくとも影響を与えることが必要であるとされた。人は、実際にはそうでないものだと思われることが必要だった。存在することと見かけはまったく異なるものとなり、この区別から、尊大さ、傲慢さ、そしてそれらの悪徳が生まれたのである。他方で、それまで自由で独立していた人間は、多くの新たな欲求の結果、すべての自然、とりわけ仲間に、いわば服従させられた。裕福であれば彼らの奉仕を必要とし、貧しければ彼らの援助を必要とした。平凡であっても、彼らなしにはやっていけなかった。それゆえ彼は、自分の幸福に彼らの関心を向けさせ、実際にそうでないとしても、少なくとも見かけ上は、彼のために労働することに自分の利点を見出させるために、絶えず努力していたに違いない。このため、ある者との取引ではずる賢く巧みであり、ある者との取引では帝国主義的で残酷であり、自分が必要としているすべての人々を、自分の意志に従わせるように畏怖させることができない限り、また実際の奉仕を犠牲にしてでもそれを買い取ることに自分の利益を見いだせない限り、悪用する必要性に迫られた。要するに、飽くなき野心や、自分の相対的な財産を高めようとする怒りは、本当に必要だからというわけではなく、他人を出し抜こうとするものであり、すべての人に、互いを傷つけようとする邪悪な気持ちを抱かせ、より大きな安全性をもってその主張を貫こうとする、より危険な密かな嫉妬心を抱かせ、それはしばしば博愛の顔をする。一言で言えば、他者を犠牲にして繁栄しようという密かな欲望が常に蔓延する一方で、一方では努力の衝突、他方では利害の対立しか見られないこともあった。このようなことが財産の最初の影響であり、幼児期の不平等の不可分の付随物であった。
富を表す標識が発明される以前は、人間が所有できる唯一の実物である土地と家畜以外には、富を構成するものはほとんどなかった。しかし、領地がその数と面積を増やし、国全体を取り込み、互いに触れ合うようになると、ある人が他の人の犠牲の上に自分自身を成長させることは不可能になった。そして、そのような財産を手に入れるにはあまりに弱く、またあまりに怠惰で、何も失うことなく困窮していた余剰の住民たちは、自分たちの周りのすべてが変化しても、自分たちだけは変わることなく、金持ちの手から生活の糧を得たり、強制されたりせざるを得なくなった。こうして、それぞれの性格の違いによって、支配と隷従、あるいは暴力と強奪の流れが始まった。富める者たちは、命令することの喜びを味わうことはほとんどなかった。そして、古い奴隷を利用して新しい奴隷を獲得し、もはや隣人を征服して奴隷にすること以外には何も考えなかった。貪欲な狼たちが、一度人肉を味わうと、他のあらゆる食物を蔑ろにし、将来のために人間以外を食い尽くすのと同じである。
このように、最も力のある者、あるいは最も惨めな者が、それぞれ自分の力や惨めさを、他人の物質に対する一種の所有権、さらには財産と同等のものとみなし、いったん崩れた平等の後には、最も衝撃的な無秩序が続くのである。金持ちの越権行為、貧乏人の略奪、そしてすべての人の抑えきれない情熱が、自然な思いやりの叫びや、まだ弱々しかった正義の声を押し殺し、人間を貪欲に、邪悪に、野心的にしたのである。最も強い者の称号と、最初に占領した者の称号との間には、絶え間ない対立が生まれ、それは常に砲撃と流血に終わった。幼児社会は、最も恐ろしい戦争の場となった。人類はこうして堕落し、苦しめられ、もはや退却することも、不幸な獲得物を放棄することもできなくなった。要するに、それ自体とても名誉な能力の濫用によって混乱し、破滅と滅亡の瀬戸際に立たされたのである。
貪欲な新参者、貪欲な新参者、貪欲な新参者、
このような弊害は、弊害をもたらす。このように、人は、そのようなことを避けることはできない。
しかし、人々は遅かれ早かれ、これほど悲惨な状況や、自分たちが圧倒された災難について反省しないはずがない。特に富裕層は、自分たちだけがすべての出費を支え、すべての人が生命を危険にさらすにもかかわらず、自分たちだけがいかなる物質も危険にさらす永続的な戦争によって、自分たちがどれほど苦しんでいるかをすぐに理解したに違いない。そのうえ、自分たちの越権行為にどのような色をつけようとも、その越権行為の大部分が虚偽の不安定な称号に基づくものであり、自分たちが単なる武力で手に入れたものを、他人が再び単なる武力で奪い取ることができ、そのような行為に文句を言う余地など少しもないことを、彼らは十分に理解していた。自分の富をすべて自分の産業のおかげだと考えている人たちでさえ、もっとましな権原を根拠にして富を得ることはできなかった。この城壁を築いたのは私だ。私は自分の労働によってこの場所を手に入れた。誰があなたのためにこの場所を突き止めたと言うのか、他の人は反論するかもしれない。あなたがたは、あなたがたの同胞の多くが、あなたがたの所有するものが自然界で十分すぎるほど不足しているために、滅びたり、痛ましい苦しみを味わったりしていることを知らないのか。また、あなたがたは、人類共通のものから、あなたがたの私的な生活に必要な以上のものを、自分自身に充当することについて、人類の明確な、一致した同意を得ていたはずではないか。自分を正当化する確かな理由も、自分を守る十分な力もない。個人を簡単に押しつぶすが、数に押しつぶされるのも同じぐらい簡単だ。一人は万人に対抗し、互いの嫉妬のために、略奪という共通の希望によって団結した盗賊団に対抗するために、同輩と団結することができない。こうして必要に迫られた金持ちは、ついに人間の精神にかつてないほど深い計画を思いついた。それは、自分を攻撃してくる勢力を自分に有利になるように利用し、敵を味方につけ、敵に別の格言を吹き込み、自然の法則が敵に不利であるのと同様に、自分の主張に有利な別の制度を採用させることであった。
このような考えから、隣人たちの前に、互いに武装し合い、彼らの所有物が重荷となり、彼らの欲求が耐え難いものとなり、貧困でも富裕でも誰も安全を期待できないような状況の恐ろしさをすべて示した後、彼は、彼らを自分の目的に引き込むために、まやかしの議論を簡単に作り出した。「弱者を抑圧から守り、野心家を抑制し、すべての人が自分のものを所有できるようにしよう。正義と平和のルールを作り、すべての人がそれに従うことを義務づけよう。そのルールは、個人を排除するものではなく、強者も弱者も同じように相互の義務を遵守することによって、運の気まぐれを何らかの形で償うものであろう。一言で言えば、われわれの力をわれわれ自身に向かわせるのではなく、われわれの力を1つの主権者に集めよう。この主権者は、賢明な法律によってわれわれを統治し、協会のすべての構成員を保護し、防衛し、共通の敵を撃退し、われわれの間の恒久的な和合と調和を維持することができる」。
このような言葉をかけるだけで、田舎者の一団を引き込むには十分だった。彼らは、自分たちの間に仲裁者なしで暮らすにはあまりにも多くのいさかいがあり、主人なしで長く暮らすにはあまりにも多くの欲望と野心を持っていた。彼らは皆、自分たちの自由を確保するために軛に首を差し出した。彼らには政治的憲法の利点を見抜くだけの分別はあったが、その危険性を事前に見抜くだけの経験はなかったからだ。彼らの中で悪用を予見するのに最も適した人々は、まさに悪用によって利益を得ようとする人々であった。最も冷静な人々でさえ、手足のいずれかに危険な傷を負った人が、残りの体を救うために容易にその手足を切り離すように、他の自由を確保するために自由の一部を犠牲にすることが必要だと判断した。
弱者の足枷を増やし、富める者の力を増大させる社会と法の起源は、このようなものであった、あるいはそうであったに違いない。自然の自由を取り返しのつかないほど破壊し、財産と不平等の法則を永久に固定した。巧みな越権を、取り消すことのできない所有権に変えた。そして、少数の野心的な個人の利益のために、残りの人類を永続的な労働と隷属と悲惨に服従させた。一つの社会が成立することで、残りのすべての社会が絶対的に必要となり、一致団結した力に対抗するために、残りの人類が今度は団結する必要が生じたことは、容易に想像できるだろう。このようにして形成された社会は、やがて地球の表面を覆い尽くすほどに増殖し、広がっていった。そして、全宇宙の片隅にも、人間がくびきを投げ捨て、しばしば不行届きな剣が常にぶら下がっているのを見て、その剣の下から頭を下げることができる場所を残すことはなかった。こうして民法が市民の共通のルールとなったため、自然法はもはやさまざまな社会の間でしか通用しなくなったが、そこでは国家法という名のもとに、いくつかの暗黙の同意によって、通商を可能にし、自然的な思いやりの代わりとなる資格が与えられていた、 それは、元来個人に対して持っていた社会に対する影響力を徐々に失い、もはや一部の偉大な魂の中にしか存在しなくなった。彼らは、自らを世界市民とみなし、人民と人民を隔てる架空の障壁を押し広げ、私たちすべての存在を由来とする主権者に倣って、全人類を博愛の対象とする。
こうして政治体は、自分たちの間の自然状態にとどまり、やがて個人が自然状態をやめざるを得なかった不都合を経験するようになった。そして、このような状態は、これらの大きな組織にとって、現在それらを構成している個人にとって以前よりもはるかに致命的なものとなった。それゆえ、自然を震え上がらせ、理性に衝撃を与えるような国家間の戦争、戦闘、殺人、報復が起こるのである。人間の血を流すことを美徳とし、名誉とする、恐ろしい偏見もそのためである。最も価値ある男たちは、仲間の喉をかき切ることを義務と考えるようになった。やがて人々は、何のためかもわからぬまま、何千人もの人間を屠り合うようになった。そして、一つの行動で多くの殺人が行われ、一つの町が襲われただけで、地球上のすべての場所で、長い間、自然状態で行われていたよりも多くの恐ろしい乱暴が行われた。このようなことが、人類がさまざまな社会に分割されたことから生じたと考えられる最初の影響である。社会の設立に話を戻そう。
政治社会の起源を別のものとする作家が何人かいることは知っている。例えば、強者の征服や弱者の結合などである。そして、私がこれから立証しようとしていることに関しては、これらの原因のどれを採用しようとも構わない。しかし、私が今述べたことが、次の理由から、最も自然であるように思われる。第一に、第一の場合、征服権は実際には全く権利ではなく、征服者と被征服者が互いに対して戦争状態にあり続ける限り、他のいかなる権利の基礎にもなり得ないからである。それまでは、両者の間でどのような協定が結ばれようとも、その協定は暴力に基づくものであり、もちろん事実上無効であるため、この仮説には真の社会も政治体も、また強者の法以外のいかなる法も存在し得なかったのである。第二に、強者と弱者という言葉は、第二の場合において曖昧だからである。というのも、財産権や先占権が確立されてから政治的政府が確立されるまでの間、これらの用語の意味は、救貧法と富裕法という言葉によってよりよく表現されるからである。第三に、貧乏人には失うものが自由のほかには何もなかったから、それに対する対価を得ることなしに、自分たちに残された唯一の恵みを進んで手放すことは、彼らにとって狂気の極みであっただろう。一方、金持ちは、自分の財産のあらゆる部分において、言うなれば分別があったため、災いを与えることがはるかに容易であり、それゆえ、災いから身を守る義務がより重かったのである。また、要するに、あるものが発明されたのは、それが有害であることを証明しなければならない人よりも、むしろそれが役に立つ可能性のある人であると考えるのが妥当だからである。
黎明期の政府には、規則正しく永続的な形がなかった。哲学と経験の十分な蓄積がなかったため、人々は現在の不都合より先を見通すことができず、将来生じる不都合に対して、その都度対策を講じようとは考えなかった。最も賢明な立法者たちのあらゆる努力にもかかわらず、政治国家は依然として不完全なままであった。そして、その基礎が不完全であったため、時間はその欠陥を発見し、その改善策を提案するのに十分であったとしても、もともとの悪弊を修復することはできなかった。人々は絶え間なく修繕を続けた。しかし、良い建物を建てるためには、リュクルゴスがスパルタで行ったように、まずその場所を整地し、古い資材を取り除くことから始めるべきだった。当初、社会は、すべての構成員が自らを拘束し、その遵守のために組織全体が各個人に対する保障となるような、いくつかの一般的な同意だけで構成されていた。このような憲法の大きな弱点を示すには、経験が必要であった。また、このような憲法を侵害する者が、公衆だけが証人であり裁判官であるべき過ちについて、いかに簡単に有罪判決や懲罰を免れることができたかを示すには、経験が必要であった。法律は、千差万別の方法で逃れることができた。不都合と混乱は絶え間なく増大し、ついには、公権力という危険な信頼を私人に委ね、人民への服従を強制する責任を司政官に負わせる必要があると考えられるに至った。連合体が結成される前に首長が選出され、法律そのものよりも先に法律の大臣が存在していたというのは、あまりにも馬鹿げた仮定であり、私が真剣に反論するに値しない。
人が最初、絶対的な主人の側に何の条件も配慮もなく、その腕に身を投じたと想像するのも、同様に不合理であろう。そして、嫉妬深く征服欲のない人間が、自分たちの共通の安全のために考え出した最初の手段が、奴隷制度に身を投じることだったというのも、同様に不合理である。実際、もし彼らが抑圧から身を守り、彼らの生命、自由、財産を守るためでなかったとしたら、なぜ彼らは自分たちに上司を与えたのだろうか。人間と人間との関係において、ある人間にとって最悪の事態は、自分自身が他人の裁量に委ねられることであるが、その援助が必要な唯一のものを守るために、首長に譲ることから始めるのは、良識に反することではなかったか。そのような素晴らしい特権に対して、どのような見返りがあっただろうか。そして、もし彼が彼らを擁護するふりをしてそれを要求しようとしたならば、すぐに謝罪の答えが返ってきたのではないだろうか?敵からこれほどひどい仕打ちを受けることがあろうか。したがって、人民が自分たちの自由を守るために酋長を与えたのであって、酋長によって奴隷にされたのではないということは、もはや議論の余地はなく、政治法の基本的な格言である。もしわれわれが君主を持つとすれば、それはわれわれが君主を持たないようにするためである」とプリニウスはトラヤヌスに言った。
政治家は、哲学者が自然状態について論じるのと同じ哲学で、自由を愛することについて論じる。自分たちが見たものによって、自分たちが見たことのないまったく異なるものを判断し、自分たちの目の前にいる奴隷がくびきを背負う忍耐強さを理由に、人間には奴隷への自然な傾倒があるとする。自由は、無邪気さや美徳と同じように、所有する者以外にはその価値を知ることができない。ブラジダスは、スパルタ人とペルセポライト人の生活を比較していたサトラップに言った。だが、あなたには私の国の楽しみはわからない。
訓練されていない馬がたてがみを立て、地面をつつき、銜を見ただけで暴れるのに対し、訓練された馬は辛抱強く鞭と拍車の両方に耐えるように、野蛮人は文明人がつぶやくことなく背負う軛に首を伸ばすことはなく、穏やかな服従よりも最も荒々しい自由を好むのだ。したがって、奴隷化された国々の隷属的な気質によって、奴隷制に対する人間の自然な気質を判断するのではなく、あらゆる自由民が抑圧から身を守るために行った奇術によって判断しなければならない。最初の人びとが、自分たちが牢獄の中で享受している平和と平穏を絶えず叫び、miserrimam servitutem pacem控訴人と叫んでいることは知っている。しかし、他の者たちが、快楽、平和、富、権力、さらには生命そのものさえも、それを失った者たちから軽んじられているたったひとつの宝石の保存のために犠牲にしているのを見るとき、私は、そのような者たちが、自分たちが享受している平和と平穏を、常に叫び上げていることを知っている。自由に生まれた動物たちが、囚われの身であることを自然に嫌って、牢獄の鉄格子に脳天をぶつけるのを見るとき。大勢の裸の野生人が、ヨーロッパ人の快楽を軽んじ、飢えや火や剣や死そのものをものともせず、自分たちの独立を守ろうとするのを見るにつけ、私は、このようなことは野生人のものではないと感じる。自由について議論するのは奴隷のすることではないと思う。
ロックやシドニーに頼るまでもなく、父権に関して言えば、この世で専制政治の残酷な精神とこれほど異なるものはない。自然の法則によって、父親が子供の主人であり続けるのは、子供がその援助を必要としている間だけである。その期間を過ぎれば両者は対等となり、そのとき息子は父親から完全に独立し、父親に服従する義務はなく、ただ尊敬の念を抱くだけである。感謝は、確かに私たちが払うべき義務ではあるが、恩人はそれを要求することはできない。市民社会は父権から派生したものだと言うのではなく、むしろ、後者がその主要な力を持つのは前者のおかげだと言うべきだ。ある個人が、他の何人かの個人の父親であると認められるのは、その個人が自分の周りに定住してからである。父親の財産は、父親が好きなように処分することができるが、それは子供たちを父親への依存につなぎとめる絆であり、父親は、子供たちが父親の命令に従順であり続けることによって父親の注意を引くに値するようになった割合に応じて、自分の財産を子供たちに分け与えることができる。しかし、専制君主の臣下は、自分自身と自分たちの所有物すべてが彼の所有物であるため、あるいは少なくとも彼からそのようにみなされているため、彼からそのような好意を期待するどころではなく、彼が自分たちの所有物を放棄したものを好意として受け取らざるを得ない。身ぐるみを剥ぐとき、彼は彼らに正義を尽くす。生かしておくときは慈悲をもって接する。このように事実と正義を比較し続けることによって、専制政治の自発的な確立に、真実と同じくらい小さな堅固さを見出すことができるだろう。また、当事者の一方にのみ拘束力があり、一方はすべてを賭け、他方は何も賭けない契約の有効性を証明するのは困難な問題である。
この悪趣味な制度は、今日でも、賢明で善良な君主、とりわけフランス国王のものとはほど遠い。「それゆえ、主権者がその領域の法律に従わないとは言わせない。なぜなら、主権者はその領域の法律に従わなければならない、というのは、お世辞にも国家法の格言であると言えるが、善良な君主は常にその領域の監督神として擁護してきたからである。国家の完全な幸福は、臣民がその王子に従うこと、王子が法律に従うこと、そして法律が公平で常に公共の利益に向けられていることにある、と賢者プラトンとともに言うことは、どれほど合理的であろうか。 「自由が人間の最も崇高な能力であるにもかかわらず、狂人や残酷な主人を満足させるためだけに、その最も尊い賜物を遠慮なく放棄し、禁じられているあらゆる犯罪を犯すことに服従することが、自分の本性を低下させ、自分を本能の奴隷である獣のレベルにまで貶め、さらには自分の存在の創造主を傷つけることにならないかどうか、私は考えることを止めない。そして、この崇高な芸術家が、自分の作品が汚されることよりも、破壊されることにもっと苛立ちを覚えるべきだとしたら。このように自分自身を貶めることを恐れない人たちが、自分の扶養家族を同じような不名誉にさらし、後世の名において、自分たちの寛大さのおかげでもなく、それなしには、生きるに値するすべての人たちにとって人生そのものが重荷に見えるような恩恵を放棄する権利がどこにあるのか、私はただ問うだけである。
パッフェンドルフによれば、契約や同意によって財産を人から人へ譲渡することができるように、他人のために自由を奪うこともできる。私の考えでは、これは非常に稚拙な議論である。というのも、まず第一に、私が他人に譲り渡す財産は、そのような譲り渡しによって、私にとってはまったく異質なものとなり、その乱用が私に影響を及ぼすことはあり得ないからである。しかし、私の自由が濫用されないようにすることは、私にとって大きな関心事であり、私が犯さざるを得ないかもしれない犯罪の罪を負うことなく、私自身をその道具にさらすことはできない。その上、財産権は単なる人間の同意と設立によるものであり、すべての人は自分の所有するものを好きなように処分することができる。しかし、生命や自由のような自然から与えられた本質的な賜物についてはそうではない。一方を放棄することによって、私たちは自分の存在を劣化させる。もう一方を放棄することによって、われわれは、われわれの力の及ぶ限り、それを消滅させる。そして、いかなる一時的な楽しみも、そのどちらかを失った私たちを補償することはできないのだから、いかなる対価を払ってでもそれらを放棄することは、一挙に自然と理性の両方に反することになる。しかし、われわれの自由をわれわれの物質と同じように譲渡することはできても、われわれの権利を放棄することによってのみわれわれの物質を享受するわれわれの子供たちに関しては、その差は非常に大きくなるであろう。一方、自由は、人間として自然から持っている祝福であり、親はそれを奪う権利はない。つまり、奴隷制を確立するためには、自然に対して暴力を振るう必要があったように、このような権利を永続させるためには、自然を改変する必要があったのである。法学者たちは、奴隷の子は奴隷としてこの世に生を受けると重々しく宣言しているが、それは言い換えれば、人間は人間としてこの世に生を受けることはないということである。
したがって、私には、政府が恣意的な権力によって始まったのではないこと、それは政府の腐敗と極端な用語にすぎず、ついには最強の法則に立ち戻らせるものであり、政府が最初に救済策であったものであること、さらには、政府がこのような方法で始まったとしても、そのような権力はそれ自体違法であり、社会の権利の基礎となりえず、もちろん設立の不平等にもなりえなかったこと、が紛れもなく真実であるように思われる。
私は今、あらゆる種類の政府の基本的な契約の性質について、まだなされるべき探究に立ち入るつもりはないが、一般的な意見に従って、ここでは、多数者とそれによって選出された首長との間の実質的な契約としての政治体の確立に限定する。契約とは、両当事者がそこに規定された法律を遵守することを自らに義務づけ、両当事者の結束のバンドを形成するものである。大勢は、その社会的関係から、すべての意志を一人の人間に集中させ、この意志が自らを説明するすべての条項は、多くの基本法となり、国家のすべての構成員に例外なく義務を負わせ、この法律のひとつは、残りの法律の執行を監視するために任命された支配者の選択と権限を規制する。この権力は、憲法を維持しうるものすべてに及ぶが、憲法を変更しうるものには及ばない。この権力には、法律とその大臣を立派なものにするための栄誉が加えられている。また、大臣には、優れた行政から切り離すことのできない多大な労苦を償わせることができる、ある種の特権が与えられている。行政官の側では、自分に託された権力を有権者の意向に沿うようにしか行使せず、有権者一人一人が自分の財産を平穏に所有できるように維持し、いかなる場合にも、自分の私利私欲よりも公共の利益を優先させる義務を負っている。
このような憲法は、経験によって、あるいは人間の心についての深い知識によって、そのような憲法から切り離すことのできない悪弊が指摘される前に、その維持のために任命された人々自身がその憲法に最も深く関わっていたため、より完璧に見えたに違いない。というのも、君主制とその権利は基本法の上にのみ成り立っており、基本法が存在しなくなれば、君主制は合法でなくなり、人民はもはや従う義務がなくなり、国家の本質は君主制にあるのではなく、法律にあるのだから、国家の構成員は直ちに原始的で自然な自由を得る権利を得ることになるからである。
少し考えれば、この真理を裏付ける新たな論拠が得られるだろうし、契約の性質だけで、この契約が取り消し不可能であることを納得させられるかもしれない。というのも、もし契約当事者の忠実性を保証し、相互の約束を履行するよう義務づけることのできる上位の権力が存在しないのであれば、契約当事者は自分たちの大義において唯一の裁判官であり続けることになり、各当事者は、相手方が契約の条件を破ったこと、あるいはその条件が自分の私的な都合に合わなくなったことを発見次第、契約を破棄する権利を常に持つことになるからである。この原則に基づけば、退位の権利もおそらく認められるだろう。さて、この設立において人間的なことだけを考えてみると、すべての権力を自分の手に握り、契約の利点をすべて自分に充当している執行官が、それにもかかわらず、その権限を自ら放棄する権利を有するとする。人民は、人民の長のあらゆる欠点の代償を払っているのだから、人民の長への依存を放棄する権利の方がどれほど大きいことだろう。しかし、このような危険な特権の必然的な帰結となる衝撃的な不和や混乱は枚挙にいとまがなく、人間の政府がいかに単なる理性よりも強固な基盤を必要としていたかを何よりも示している。また、全能者の意志が介入して、主権者の権威に神聖かつ侵すことのできない性格を与え、臣民がその権威を好きな者に処分するという悪戯な権利を奪うことが、いかに公共の安寧のために必要であったかを示している。宗教は、狂信主義が流出させた血よりも多くの血を救う手段なのだから。しかし、我々の仮説の続きを話そう。
さまざまな政治形態が生まれたのは、最初に政治体としてまとまったときに、構成員の間にさまざまな不平等があったからである。ある人物が権力、徳、富、信用で傑出していた場合、その人物が唯一の統治者となり、国家は君主制の形態をとった。同じような高名な人物が他を圧倒している場合、彼らは共同で選挙され、この選挙によって貴族政が生まれた。たまたま財産や才能の間にそのような不均衡がなく、自然状態からの逸脱が少なかった人々は、共同で最高行政権を保持し、民主主義を形成した。これらの形態のどれが人類に最も適しているかは、時が証明した。ある者は完全に法に従ったままであった。他の者はすぐに主人に首を下げた。前者は自由を守ろうと努力した。後者は隣人の自由を侵害することしか考えず、自分たちが失った恵みを他人が享受しているのを見て嫉妬した。一言で言えば、富と征服は一方に、美徳と幸福は他方に帰属した。
このようなさまざまな政治形態において、当初、役職はすべて選挙制であった。富が優位を占めない場合は、自然に優位に立つことができる功労と、熟慮と実行の経験の親である年齢が優先された。ヘブライ人の中の古代人、スパルタのジェロント、ローマの元老院、いや、われわれの「君主」の語源そのものが、かつていかに白髪が尊ばれていたかを示している。選挙が老人の手にかかることが多ければ多いほど、選挙を繰り返す必要が生じ、その繰り返しがいかに面倒なものであったかがわかる。選挙活動が行われた。派閥が生まれた。党派は悪縁を結んだ。内戦が勃発した。国家の幸福のために市民の命が犠牲になった。そして事態はついに、原始的な混乱に逆戻りするような状況に陥った。主要人物の野心は、このような状況を利用して、それまでの一時的な報酬を家族に永続させようとさせた。すでに依存に慣れ、安楽と便利な生活に慣れていた人民は、その束縛を解くことができないほど疲弊していたが、彼らの平穏を確保するために、奴隷を増やすことに同意した。こうして世襲制となった首長は、統治権を一族の財産とみなす習慣を身につけ、当初は単なる役員にすぎなかった共同体の所有者となった。同胞を奴隷と呼ぶ。多くの牛や羊のように、彼らを自分たちの実体の一部とみなす。そして、自分たちを神々の仲間、王たちの王と称した。
このようなさまざまな革命における不平等の進展を追求すれば、法律と財産権の確立が不平等の最初の段階であることがわかるだろう。支配者の設立はその第二段階である。そして3番目と最後が、合法的な権力から恣意的な権力への変化であった。つまり、富める者と貧しい者の異なる状態は、第一の時代によって承認されたのである。第二の時代には強者と弱者の状態が認められた。そして第三の時代には、主人と奴隷という不平等の最後の段階が形成され、新たな革命が政府を完全に解体するか、あるいは政府を合法的な憲法に近づけるまで、残りのすべての段階が最終的に終了することになる。
このような進歩の必要性を考えるためには、政治体の設立の動機というよりも、政治体がその運営においてどのような形態をとるかを考える必要がある。また、政治組織が本質的に伴う不都合についても考えなければならない。社会制度を必要なものにしている悪徳は、そのような制度の乱用を不可避なものにしているのと同じだからである。そして、(スパルタだけは例外であるが、その法律は主として子供の教育に関係し、リュクルゴスがそのような風俗と習慣を確立したため、法律が大いに不要となった)一般に、法律は情念よりも弱く、情念を変えることなく人間を拘束する。あらゆる改変と腐敗を注意深く防止し、その設立の目的に忠実であるべきすべての政府が、不必要に設立されたことを証明するのは難しいことではないだろう。また、誰も法を逃れたり治安を悪用したりしない国には、法も治安官も必要ない。
政治的な区別は、必然的に市民的な区別を伴う。人民と首長との間の不平等は、私人にもすぐに感じられるほど急速に増大し、その情熱や才能や情勢に応じて、千差万別の形で人民の間に現れる。越権は、自らを被造物とすることなく、いかなる違法な権力も簒奪することはできず、その権力を分割しなければならない。その上、自由な国家の市民は、盲目的な野心に急き立てられ、上よりもむしろ下を見るようになるにつれて、独立よりも権威を愛するようになる。彼らが束縛に服従するのは、他人を束縛できるようになるためである。命令したくない者を従わせるのは容易なことではない。最も洗練された政策でも、独立することだけを望む人間を服従させることは不可能である。しかし、不平等は、卑しく野心的な魂の間に容易に根を張り、常に幸運の危険を冒す用意があり、幸運が自分にとって有利か不利かを証明すれば、命令しようが服従しようがほとんど無関心である。こうして、人民の目がこれほどまでに惑わされた時代があったに違いない。支配者たちは、最も哀れな惨めな者に、「あなたも、そしてあなたのすべての子孫も、偉大になりなさい」と言うだけで、その人はたちまち、自分の目にも、すべての人の目にも、偉大に映るようになった。そして彼の子孫は、彼からの距離に比例して、さらに多くのものを背負った。原因が遠く不確かであればあるほど、その影響は大きくなる。一族の血筋が長ければ長いほど、その一族はより輝かしいとみなされる。
この場で詳細を述べるのが適切であれば、私的な人々の間で信用や権威の点で不平等が避けられなくなるのは、私的な人々が1つの組織となり、互いに比較する必要に迫られた瞬間である。この違いにはいくつかの種類がある。しかし、富、貴族や地位、権力、個人的な長所などは、一般に、社会の中で人間が互いに測り合う主要な区別である。私は、これらの異なる力の間の調和や対立が、あらゆる国家の元々の体質の良し悪しを示す最も確かな指標であることを証明することができる。これら4種類の不平等のうち、個人の資質が残りのすべての源であるように、富は、個人の繁栄に最も即座に役立ち、伝達が最も容易であるため、他のあらゆる区別を購入するために利用されるため、それらが最終的に行き着く先であることを示すことができる。この観察によって、どの人民がその原始的な設立からどれだけ逸脱しているか、そして腐敗の極限に至るまでまだどのような段階を踏まなければならないかを、ある程度正確に判断することができる。私たちすべてが貪欲に抱いているこの普遍的な名声欲、名誉欲、優越欲が、どれほど私たちの才能と力を鍛え、比較するかを示すことができる。それがどれほど私たちの情熱を刺激し、増大させるか。そして、人間の間に普遍的な競争、ライバル関係、あるいはむしろ敵意を生み出すことによって、それが同じ職業に従事する無数の成りすましたちの間に、日々どれほど多くの失望、成功、あらゆる種類の破局を引き起こしていることか。私たちの美徳も悪徳も、科学も過ちも、征服者も哲学者も、私たちの中の最良のものも最悪のものも、私たちに一刻の猶予も与えないこの憤怒のせいなのだ。つまり、非常に多くの悪いことが、ごく少数の良いことに起因しているのだ。要するに、一握りの金持ちや権力者が富と偉大さの頂点に座っている一方で、群衆が無名と欠乏の中でうろたえているのを見るとしたら、それは単に、彼らが享受しているものを、他の人々が欲しがっているのと同じ程度に、第一人者が享受しているからであり、彼らの状態を変えなければ、人民が悲惨でなくなった途端に、彼らは幸福でなくなってしまうということを、私は証明することができる。
しかし、これらの詳細だけでも、もっと大規模な著作のための十分な材料になるだろう。その著作では、自然状態における人間の権利と比較して、あらゆる種類の政府の利点と欠点が比較検討されるかもしれないし、また、不平等が今日まで現れてきた、そして今後時の終わりまで現れるかもしれない、いくつかの政府の性質や、時が不可避的に引き起こすであろう革命に従って、あらゆる異なる顔が明らかにされるかもしれない。そうなれば、外国の支配者から身を守るために講じた予防措置の結果、国内の暴君によって多数の人々が抑圧されるのを見ることになる。抑圧された人々は、抑圧がどこで止まるのか、また抑圧の進行を阻止する合法的な手段が残されているのかを知ることができないまま、抑圧が絶え間なく増大するのを目の当たりにすることになる。市民の権利や国家の自由は、ゆっくりとした段階を経て消滅し、弱者のうめき声や抗議や訴えは、扇動的なつぶやきとして扱われる。政策によって、共通の大義を守るという名誉が、人民の一部の傭兵に限定されることになる。このような措置によって必要な賦課金が課され、意気消沈した農夫が平時にも畑を放棄し、耕作をやめて剣を取るようになる。名誉の点に関して、致命的で気まぐれな規則が敷かれるのを見ることになるだろう。祖国の覇者が遅かれ早かれ祖国の敵となり、同胞の胸に剣を突きつけ続けるのを見るだろう。いや、祖国を抑圧する者に向かって、こう言うかもしれない。
親を恨め、子を恨め。
汝、汝、汝、汝、汝、汝、汝、汝、汝、汝、汝、汝、汝、汝、汝、汝
条件と財産の広大な不平等から、情熱と才能の多種多様から、役に立たない芸術、有害な芸術、軽薄な科学から、理性にも幸福にも美徳にも等しく反する偏見の雲が生まれるだろう。社会を形成する人間を分断して弱体化させようとするあらゆるものを、首長たちが煽り立てるのが目に見えるようだ。社会に見かけの調和を与えながら、真の分裂の種をまくようなものだ。異なる秩序が、それぞれの権利と利害を対立させることによって、相互不信と憎悪を抱かせ、もちろん、それらすべてを包含する権力を強化するようなものすべてである。
このような無秩序と革命の懐から、専制君主制が徐々にその恐ろしい紋章をそびえ立たせ、まだ健全で汚れのないまま残っているあらゆるものを国家のあらゆる部分で食い尽くし、ついには法律と人民を踏みにじり、共和制の廃墟の上に自らを確立しようとするのである。この最後の変化の直前の時代は、災難とトラブルの時代であった。しかし、最後にはすべてが怪物に飲み込まれる。人民にはもはや首長も法律もなく、専制君主だけが存在することになる。この致命的な時期には、美徳やマナーに対するすべての配慮も消え失せるだろう。専制君主は、それが君臨するいかなる場所においても、他の主人を容認しないからである。専制主義が口を開いた瞬間、高潔さと義務はその影響力をすべて失い、最も盲目的な服従だけが、惨めな奴隷に残された唯一の美徳となる。
これが不平等の最終項であり、輪を閉じ、われわれが出発したところと出会う極点である。ここで、すべての私人が原始的な平等に戻るのである。そして、臣民はもはや主人の法以外にはいかなる法も持たず、主人も彼の情熱以外にはいかなる法も持たないので、善の観念も正義の原則もすべて再び消滅する。ここですべてが最強の唯一の法則に戻り、もちろん、最初の自然状態は純粋な自然状態であり、最後の自然状態は過度の堕落の結果であったように、最初の自然状態とは異なる新しい自然状態に戻る。他の点では、これら2つの状態にはほとんど違いがなく、専制君主制によって統治契約は大いに解消され、専制君主はもはや最強の君主であり続ける以上に主人ではなく、奴隷が彼を追い出すことができるや否や、奴隷が彼を悪用していることに文句を言う権利など少しも持たずに追い出すことができる。スルタンの死や専制に終わる反乱は、その前日にスルタンが臣民の生命と財産を処分したのと同様に、合法的な行為である。力のみが彼を支え、力のみが彼を覆す。このように、すべての物事は自然の摂理に従って行われ、成功する。そして、こうした性急で頻繁な革命の結果がどうであろうと、誰も他人の不正を訴える理由はない。
こうして、人間が自然状態から社会状態に到達したはずの、失われ、忘れ去られた足跡を発見し、たどることによって。今示したような中間的な位置を、余暇がないために抑制せざるを得なかったもの、あるいは私の想像力が示唆しなかったものと一緒に復元することによって、注意深い読者なら誰でも、この2つの状態を隔てる広大な空間に驚かざるを得ないだろう。このゆっくりとした物事の連続の中にこそ、哲学者たちが解決に頭を悩ませている、社会的・政治的問題の無限の解決策がある。ある時代の人類が別の時代の人類ではないこと、ディオゲネスが人間を見つけられなかったのは、同時代の人間の中にそれ以前の時代の人間を求めたからであることを、彼は理解するだろう。カトーはローマと自由とともに没落したが、それは彼が生きた時代にそぐわなかったからである。そして、最も偉大な人物は、その世界を驚かせるのに役立っただけであり、もし彼が500年早く世に出ていたならば、喜んで従っただろう。一言で言えば、人の魂と情念が、その無自覚な変化によって、どのようにその本性を変えていくのかを理解できるようになるのである。長い間には、欲望や快楽の対象が変わってしまうのだ。本来の人間は次第に消え去り、社会はもはや、人工的な人間や人工的な情念の集合体としてしかわれわれの目に映らなくなる。この点については、反省は何も教えてはくれないが、経験が完全に裏付けている。野生人と文明人とは、傾向や情熱の点で根本的に大きく異なっており、一方の至上の幸福を構成するものは、他方を絶望に陥れるだろう。一方は、安息と自由以外には何も求めない。彼はただ生きること、そして労働から解放されることだけを望む。だが、ストイックに生きる者のアタラクシーは、それ以外のあらゆる対象に対して完璧なまでに無関心である。それどころか、常に動いている市民は、絶えず汗を流し、労苦し、さらに労苦の多い仕事を見つけようと頭を悩ませている。彼は最後の瞬間まで労働を続ける。いや、生きるために死を求め、不死を得るために生を放棄する。憎んでいる権力者や、軽蔑している金持ちには屈服する。彼らに仕える名誉を得るためには手段を選ばない。自分の弱さと、その弱さが自分を守ってくれることを恥じない。そして、自分の鎖に誇りを持ち、自分の束縛の相手となる名誉を持たない者を軽蔑して話す。カリブ人の目には、ヨーロッパ人の国務大臣の苦痛と羨望に満ちた労働が、どんな光景に映ることだろう!この無気力な野生人は、このような恐ろしい人生より、どれほどの残酷な死を選ぶだろうか。しかし、このような多くの心配の流れを理解するためには、彼の精神はまず、権力と名声という言葉に何らかの意味を持たせる必要がある。自分自身よりも、他人の証言の方が早く自分自身を満足させ、幸せになる方法を知っている。実際、こうした違いの本当の原因は、野生人が自分自身の中に生きているのに対し、市民は常に自分の傍らにいて、他人の意見の中でしか生きる術を知らないことにある。言ってみれば、市民が自分自身の存在を意識するのは、単に他人の判断からなのである。このような気質が、これほど多くの、そしてこれほど立派な社会的言説にもかかわらず、いかに多くの善悪に対する無関心を生んでいるかを示すことは、私の主題とは無関係である。すべてが見かけだけのものになり、単なる芸術やお飾りになってしまう。名誉、友情、美徳、そしてしばしば悪徳そのものが、ついには自慢するための秘訣を知ることになる。要するに、哲学、人間性、礼儀正しさ、そして崇高な格言の数々に囲まれながら、自分が何者であるかを常に他人に問い続け、自分自身について微妙な点を問う勇気もなく、欺瞞に満ちた軽薄な外見、美徳のない名誉、知恵のない理性、幸福のない快楽を示すものしかないのだ。これが人間の本来の姿ではなく、社会の精神と社会が生み出す不平等が、人間のあらゆる自然な傾向を変化させ、変容させているにすぎないことを証明しただけで十分である。
私は、不平等の起源と進展、政治社会の設立と濫用について、これらのことが人間の本性から、単なる理性の光によって、また、主権者に自然権という制裁を与える神聖な格言とは無関係に推論できる限りにおいて、説明しようと努めた。この図式から、自然状態では人間の間に不平等がほとんど存在しないように、現在われわれが目にしているすべてのものは、われわれの能力の発達と理解力の向上にその力と成長を負っており、ついには財産と法の確立によって恒久的かつ合法的なものとなる。同様に、単に積極的な権利によって認められる道徳的不平等は、身体的不平等と同じ割合で結合しないのと同様に、自然権と衝突する。というのも、幼児期が老年期を統率し、愚行が知恵を統率し、一握りの人間が贅沢品で窒息しそうになる一方で、飢えた大群衆が最もありふれた生活必需品を欲しがるのは、明らかに自然の法則に反しているからである。
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