山本義隆『リニア中央新幹線をめぐって』を読んで

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2021年に出版された山本義隆の『リニア中央新幹線をめぐって』(みすず書房)を読みました。本書では、リニアをめぐるこれまでの経緯が数々の書籍や新聞記事から丁寧に分析されており、なぜいくつもの問題(莫大なコスト、自然破壊、原発への依存、安全面の不安等)を抱えながらも敷設が強行されてきたのかが暴露されています。走り出した大プロジェクトを止めることができないという日本の病態について考えさせられる良著でした。特に、アルプス山脈を貫くトンネルについて、JR東日本の元会長が「俺はリニアは乗らない。だって、地下の深いところだから、死骸も出てこねえわな」と堂々公言するほど、リニアが安全性に欠けていることなどに衝撃を受けました。以下では、いくつかのトピックに分けて主な論点をまとめておきたいと思います(ほとんど受け売りの情報をまとめて書いているだけですので、詳しくは本書を御覧ください!)。

1. 甚大な自然破壊と説明責任の放棄

本書で強調されていることのひとつは、南アルプス山脈の掘削がもたらす自然破壊の甚大さです。現時点では、静岡県知事がJR東海と対立して工事を阻んでいるため、本格的な掘削工事は始まっていませんが、いつ工事が強行されるかもわからない状況です。ひとたび工事が始まれば、南アルプスを貫く25kmにも及ぶトンネルが掘削されることになります(地上からトンネルまでの深さは最大で1400mにもなります)。このトンネル掘削のなにが問題なのでしょうか。

忘れてはならないのは、南アルプスが国立公園に指定されていることです。その環境と景観は厳密に保全されなければならないと定められているのです。それにもかかわらず国がトンネル掘削を易々と認可していることに根本的な問題があります。工事が始まれば、何十台ものダンプカーとトラックが南アルプスの深部に入り、掘り出した土砂を投棄場所まで運ぶことになります。リニアは新幹線などと比較して断面積の広いトンネルを要することもあり(空気抵抗を少なくしてスピードを上げるため)、その工事は何年にもわたります。土砂運搬作業だけをとってみても、排気ガスで大気を汚染し、騒音を発しながら地域の景観を破壊することになります。ダンプカーやトラックを含めた重機が南アルプスに入るための道路も整備しなければなりません。

掘り出した土砂をどこに投棄するかも問題です。静岡県の大井川上流に広がる川原に盛土する案などがありますが、それも元来の景観を破壊する甚大な自然破壊です。地震や風水害によって盛土が崩壊すれば、土石流の原因にもなりかねません。また、トンネル建設には大量のセメントを必要としますが、そのセメントは石灰石を粉砕してつくる必要があり、原料の石灰岩を求めて国内のいくつもの山が切り開かれることになります。自然破壊は静岡県だけに関わる問題ではないのです。

また、静岡県知事が抗議の対象としている「地下水脈への影響」もあなどれません。知事は、JR東海側が「大井川の流水量が減らないこと」を証明する科学的な証拠を出さなければトンネル掘削を認めないとしていますが、実際のところ、掘ってみなければ流水量がどうなるかはわかりません。大井川流域の住民の生活水が枯渇してしまう可能性も否めないのです。山本は、「結果がどうなるかわからないのにトンネルを掘るというのは、ロシアンルーレットのようなもので、決して受け入れられないという静岡県の知事の態度は当然」(P85)としています。また、知事も非難しているとおり、JR東海は沿線住民に対しても住民自身が判断できるだけの正確な情報を明らかにせず、住民の危惧や不安に対して誠実に対応してきませんでした。自然破壊の面だけ見ても、リニア中央新幹線プロジェクトは断念して然るべきものなのです。

2. 大量の電力消費と原発への依存

リニアの電力消費量は、新幹線と比較して4~5倍と言われています。これだけの厖大な電力を必要とするプロジェクトが、省エネに向かう時代と逆行していることは言うまでもありません。特に福島の原発事故以降、既存の運輸や生産システムでさえ消費電力削減の強い圧力に晒されている中で、従来の輸送システムとは比較にならないほどの電力を消費するリニアは極めて時代錯誤的だと言わざるをえません。

リニアを運用するだけの電力をまかなうには現状の電力発電体制では不十分で、原発の増設が必要不可欠であることは数々の識者が指摘しているとおりです。福島の原発事故の2ヶ月後に、当時JR東海の会長であった葛西は、産経新聞にて「原子力を利用する以上、リスクを承知のうえで、それを克服・制御する国民的な覚悟が必要である。(中略)腹を据えてこれまで通り原子力を利用し続ける以外に日本の活路はない」(P47)と述べています。あの未曾有の大事故の直後に、堂々と原発推進を訴えているのです。これはリニア建設を見据えての言葉にほかなりません。

葛西がこのように述べた背景には、国が電力会社に原発の新設を促していたことがあります。国は、三菱重工、日立、東芝といった原発メーカー、さらには大手ゼネコンを保護するために、電力会社に原発新設を促していたのです。とはいっても、そもそもの電力需要がないところに原発を新設するわけにはいきません(事実、リニアの話が盛り上がりを見せていた1980年代後半の時点で、電力は十分に余っており、原発を新設する理由はどこにもありませんでした)。そこで白羽の矢が立てられたのがリニアです。原発の新設を正当化すべく、国と電力会社はリニア中央新幹線プロジェクトを推進してきたのです。すなわち、「どの電力会社も、需要があるから原発を新設するのではなく、原発を作るために新しい電力需要を掘り起こさなければならない状態に置かれていた」(P49)のです。もともと需要のないところに無理やり需要をつくって生産を加速させるというのは、経済成長を是とする資本主義社会の一般的な病態です。根底には、経済成長至上主義の闇が潜んでいるのです。

また、リニアを物理的に進行させるには、地上に敷かれるコイルを超伝導状態に維持する必要があり、そのためにはコイルを絶対零度(氷点下マイナス273度)に保たなければなりません。その過程で大量の液体ヘリウムを使用することになるのですが、このヘリウムは、採取、冷却、液化のすべての過程で厖大な電力を必要とします。さらに、ヘリウムが採取できる国は限られており、ほぼアメリカの独占市場状態にあることも問題で、今後アメリカがヘリウムの価格を値上げしたら、それだけでリニアの経営に大打撃となります。「高価なばかりか不安定な資源に依拠した技術は、そのことだけで公共的な使用にはきわめて不向き」(P41)なのです。さらに付け加えれば、超伝導コイルの原料は希少金属のニオブやチタンであり、有限資源の利用という観点からもリニアは問題を抱えています。

3. 安全面の不安(多発する実験線での事故)

地上に敷かれているコイルがなんらかのトラブルで絶対零度ではなくなってしまうと、超伝導状態ではなくなり、列車は止まってしまいます。実際に1999年の山梨実験線でこの事故が発生しています(事故が明らかになるまでに1ヶ月の間隔があったらしく、JR東海が事故を隠蔽しようとした可能性が指摘されています)。また、南アルプス付近はプレートが重なり合っている地震の起きやすい地域であり、地震によってリニアがストップすることも十分にありえます。もしトンネル内でリニアが止まってしまったら、地上まで何百メートル、場所によっては千メートル以上の脱出抗をエレベーターで上がらなければなりませんが、その緊急時に乗客がエレベーターに殺到する姿は地獄絵図そのものです。

また、車内には照明や空調のための灯油が積まれており、もし火の手があがった場合には甚大な被害につながります。実際に、1991年に宮崎実験線で列車が事実上全焼する事故が起きているほか、山梨実験線でも、2019年に3人が重軽傷を追う火災事故が発生しています。こうしたトラブルがトンネル内で生じた場合に大惨事を招くことは容易に想像がつきます。トンネル内では、ヘリウムが噴出して充満し、酸欠状態を招くなどの事故も考えられます。JR東日本の元会長である松田昌士は、こうした危険性を誰よりも熟知しているからこそ、「俺はリニアは乗らない。だって、地下の深いところだから、死骸も出てこねえわな」(P111)と話しているのです。

山本もこうした状況を踏まえ、「リニアは高速性を過度に重視するために走行の安定性・安全性を犠牲にしているのです。この点においてリニアは従来の新幹線とくらべて進歩しているどころか後退しているのです」(P44)と述べています。しかし、メディアではリニアの安全性ばかりが強調され、多くの人はリニアに潜む危険性についてほとんどなにも知りません。実際にリニアが敷設された後に大事故が起きても、福島第一原発事故のときと同じように、関係者は「想定外の事故」だと言い張り、誰も責任を取らずに済まされるのでしょう。その様は、これまでの政府と電力会社の厚顔無恥な対応を見ていれば想像に難くありません。

4. 「災害に備える」「東京一極集中を是正する」という欺瞞

国はリニアを推進する理由として、災害に備えることと、東京一極集中を是正することを挙げていますが、どちらも本書では論駁の対象となっています。まず、首都圏と関西圏を結ぶ大動脈を増設することで災害への備えになるという国の主張があるわけですが、実際、災害時に重要なのは人の輸送ではなく、物資の輸送です。物資の輸送はリニアがなくとも可能ですし、そもそもリニアには貨物列車がないため役に立ちません。本当に災害に備えるのであれば、たとえ赤字路線であっても貨物列車の走れる既存の路線を維持し、整備しておくべきです。東日本大震災の際にも、役に立ったのは普段は採算性の低いローカル線であり、新幹線すら役に立ちませんでした(新幹線の線路幅は貨物列車に合致しておらず、物資の運搬ができないのです)。

また、リニアが開設されることで東京一極集中が緩和されるという国の主張も的を射ていません。むしろリニアは地方から東京へと人を吸い上げてしまうこと(ストロー現象)が懸念されています。新幹線を敷設した際にもストロー現象で地方から大都市へと人が吸い上げられましたが、それと同様のことが起きると予想されているのです。いまや人のみならず、ほとんどすべての社会的機能が一極に集中している一方、エネルギーや食料、その他の生活必需物資の多くは地方であったり外国であったりに依存している状態です。こうした一極集中が進むと、大規模な地震や風水害が生じた場合に、日本全体が機能不全に陥る可能性があります。今回のコロナ禍でも日本の危機管理能力の低さが露呈しましたが、リニアは日本の危機耐性をさらに脆弱にしかねません。

ちなみに、東京と名古屋の間にある、山梨、長野、岐阜の各県に一つずつ駅が設けられる予定であり、各県はそれを歓迎していますが、各県が見込んでいるほどの収益は出ないでしょう。そのことは蓋然性の高いデータで示されています。山本は、新幹線が敷設されたときのことを振り返り、「自治体では新幹線駅招致が自己目的化され、駅ができさえすればそれだけでおのずと地域が活性化し潤うというような幻想に支配されていたようです。そしておなじことがリニア中央新幹線でも再現されようとしています」(P75)と述べていますが、上記3県がリニアで潤うなどというのはまさに幻想に過ぎないでしょう。むしろ環境破壊などで負の影響を被るかもしれません。

5. 採算性の悪さと国の援助

なによりも問題なのは、この闇に覆われたリニアプロジェクトに対して、国が総工費9兆円のうち3兆円を財政投融資でJR東海に融資するという異例の援助策を断行したことです。国はこの援助策を断行するため、2016年に法改正までしています。専門家からしても3兆円の財政投融資というのは常軌を逸しているそうで、普通ではありえないということです。国が支援することを決めるや否や、工事の受注をめぐって大手ゼネコン4社が談合していたことも発覚しています。こうした大規模な工事の費用は、当初の見積もりから2~3倍に膨れ上がるというのが通例で、国の援助がなければ大手ゼネコンといえど手を挙げられない状態だったのです。リニアがそれ単体では採算の取れない異様なプロジェクトであることがよくわかります。

そもそもリニアの需要のほとんどは新幹線利用者のリニアへの乗り換えであって、新規需要ではありません。つまり、リニアの利用客が増える分だけ、新幹線の乗客は減るのです。ということは、JR東海にとってリニア導入は事業収支の悪化をもたらす可能性が高いわけです。2013年には、当時のJR東海の社長である山田佳臣自身が記者会見で「リニアだけでは絶対にペイしない」と公言している有様です。それに、少子高齢化によって生産年齢層が減少して新幹線利用者が減っている上に、今ではリモートワークが広がって人の移動が大幅に抑制されています。こんな状況でも本当にリニアが必要なのか、立ち止まって考えてみようという頭はないのでしょうか。

6. それでもリニアが推進される闇

数々のリニアの闇を上に挙げてきましたが、リニアに対する国民の姿勢はどうなのでしょうか。若干古いデータですが、2013年の朝日新聞の調査が紹介されています。そこでは、「リニア新幹線は必要?」という問いに対して、54%の人が「不要」「どちらかといえば不要」と答え、「必要」「どちらかといえば必要」の37%を大きく上回りました。さらに、リニア中央新幹線建設の妥当性を問うため、国交省が設置した小委員会で2011年に募集したパブリックコメントでは、888件のうち648件(78%)が計画の中止や再検討を訴えるものだった一方、計画推進を望む声はわずか16件だったことも紹介されています。国民もリニアの必要性に疑問を抱いているのです。それにもかかわらず上記の小委員会では、圧倒的多数の反対意見を無視して、委員長が「計画は妥当である」と答申したそうです。

なぜ国はそうまでしてリニアを推進しているのでしょう。山本は、政府上層部や一部の大企業が「大国主義的ナショナリズム」に固執していることが大きな要因だと主張します。大国主義的ナショナリズムとは、「日本はこんなにすごいんだ!」と誇示せずには居ても立ってもいられない人たちの偏屈した愛国主義のことです。山本は次のように書いています。

要するに、かつて世界にほこる新幹線を実現させたのと同様に、世界ではじめて超伝導リニアを実現させ、最高速度の世界記録を樹立し、世界をあっと言わせて、いまいちど世界の鉄道業界のトップに立ちたい、というわけです。(P123)

本書では、大国主義的ナショナリズムに囚われる政府上層部の人間や、リニアに関わる技術者たちの、浅ましく幼稚な発言の数々が紹介されています。彼らは、「日本はこんなにすごいんだ!」と言うために支払わなければならない代償の大きさを理解できていないようです。リニアができたところで各国から称賛されるどころか、その実態が知れ渡れば嘲笑の的にすらなりかねません。

また、政官財の間に戦後数十年にわたって形成されてきた利権構造も問題です。リニア推進派の中には、おいしい利権構造を今後も維持したいという思惑が間違いなくあるでしょう。リニア敷設のために政府も企業もこれまでに多大な労力と経費をつぎ込んでいるため、いまさら引くに引けないという(くだらない)大人の事情もあります。誰もやめようと言い出せないのです。今は静岡県と揉めているせいで一部の線路が敷かれた状態でプロジェクトが頓挫していますが、この状況も、きちんとした段取りが取れていなかったという異常な状態を露呈しています。各県に線路の敷設についてあらかじめ了解を得た上で、プロジェクトに着工するのがあるべき姿です。「線路を敷き始めてしまえば静岡県もNOと言うわけにはいかないだろう」という甘い勘ぐりがあったのでしょう。時を経れば経るほど、リニアはますます時代遅れの産物になります。

これに似た構造は原発にも見ることができます。原発も原子力村の強固な利権構造ができ上がってしまっているせいで、引くに引けない状態になっているのです。山本が、原発を引き合いに出して、リニアプロジェクトの不健全性についてまとめている箇所がありますので、少し長いですが引用しておきます。

70年代以降、中央官庁と地域独占企業としての電力会社と原発メーカーとゼネコン、そして中央と地方の有力政治家と中央の大学の御用学者たちからなる利権集団として原子力村が形成され、潤沢な宣伝費でマスコミを取り込み、事故情報を隠蔽し、安全神話をふりまき、交付金で地方自治体を抱き込んで世界最大級の原発事故をひき起こしたのですが、しかし誰一人として責任をとらず、原子力村は反省を示すこともなくその後も原発維持を追求しているのです。
そして原発推進派に見られたのとまったく同様の構造を、より矮小なかたちで、リニア中央新幹線プロジェクトに見ることができます。すなわちそれは、中央官庁と地域独占企業としての鉄道会社と車両メーカーとゼネコン、そして中央と地方の有力政治家と中央の大学の御用学者たちが一体となって、ときには事故情報を隠蔽し、安全神話をふりまき、マスコミを抱き込み、地元の危惧や反対の声を無視して推進されているのです。(P169-170)

リニア敷設が強行されれば、日本の国力はさらなる衰退を余儀なくされるでしょう。1980年代に日本を席巻した「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代に固執し続けていれば破滅が早まるばかりです。リニアという時代錯誤のプロジェクトに蕩尽してきた税金を、使うべきところに使えていたら、日本ももっとましな国になっていたに違いありません。ここ十年ほどで日本は、経済指標、男女平等、報道の自由、大学ランキングなどで「先進国から脱落した」と呼ばれる状況に陥っていますが、リニアがこのまま敷設されれば、日本の「先進国からの脱落」に拍車がかかることでしょう。リニア関連の大事故が起きたときに、「想定外だった」と言って責任を逃れようとする利権者たちのことを考えると虫唾が走ります。

しかし、まだ希望を捨ててはいけません。静岡県が闘って時間を稼いでいる間に、「リニア断固反対」の世論を盛り上げて、南アルプスの掘削を政府及びJR東海に諦めさせることも不可能ではないのです。このままリニアの建設が進めば進むほど、ますますプロジェクト中止は難しくなります。「もう国家プロジェクトとして進み始めているんだから止めるわけなはいかない」と頑なな態度を見せる人もいますが、「一度決めたんだから」なんていう非合理的な理由で強行していいようなプロジェクトではありません。立ち止まって考え直すときがきています。今、この段階で、闇に満ちたリニアの建設を諦めさせるべく、声をあげていくしかありません。

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https://k-morilab.com/2021/11/21/326/

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