なぜ世界はひとつになれないのでしょう。なぜ国家間、部族間、党派間での争いは絶えないのでしょう。多くの人が一度は考えたことのある疑問だと思います。どうして戦争はなくならないんだろう、どうしてみんなで手を取り合って仲良く共生できないのだろう、と考えたことが僕にもありました。こうした疑問に対して、僕はこれまで自分が納得のいく説明を聞いたことがなかったのですが、最近、ジョナサン・ハイトの著した『社会はなぜ左と右にわかれるのか』を読んでいて合点のいく回答を1つ得ることができたので、書き記しておこうと思います。
集団間の争いについて考えてみます。自集団と他集団の間になにかしらの争いがある場合、ふつうの人は自集団が益するように物事が運ぶことを望みます。自集団と他集団の間の断絶が深いほど、人は他集団に対する強い憎しみを抱え、自集団が益することを強く望みます。対立する他集団を思いやり、他集団も益するように物事を進めようとする人はあまりいません。他集団を思いやる行動をとろうものなら、その優しさに付け込まれて自集団の立場がどんどん悪化していくかもしれないと考えがちです。人には気心の知れない他者を警戒する性質があるのです(当たり前といえば当たり前ですが)。
今回ジョナサン・ハイトの著書を読んで気付かされたのは、こうした警戒心が人間にとって非常に本質的な性質だということです。それを説明するために狩猟採集時代にまで時代を遡ります。人類は600万年ほどの進化史のほとんどの期間で狩猟採集をしていたわけですが、この狩猟採集というのは集団を形成して行われていました。狩猟は命懸けです。思うように獲物が取れなければ餓死してしまう可能性があります。それは自集団に限った話ではありません。食糧に困った他集団が寝込みを襲ってくる可能性もあります。こうした原始的な状況下で暮らしていれば、当然警戒心の強い個体が生き延び、世代を重ねるほど淘汰圧の影響で人々の警戒心は強くなっていきます。
そう、他集団に対する警戒心や不信感というのは、人類が長い歴史を生き延びてきた過程で、必然的に獲得した重要な性質なのです。人間は、自集団を脅かす可能性のある他者に対して直感的に「こいつには気をつけないといけないぞ」というセンサーが働くように進化してきたのです(もちろん濃淡はありますが)。他集団に対する警戒心の強い者が生き延びて現代にまで生命を繋いでいるのですから、当然、考え方や価値観の違う他者を人は簡単に受け入れられないのです。だから世界はひとつになれないのです。「なぜ世界はひとつになれないのか」と自集団も他集団も考えていたとしても、それぞれの目指している「世界」は集団ごとに異なっており、私たちはその差異を易々と受け入れることができないのです。
ちなみに、他集団に警戒心を抱き、自集団を志向するこうした性質は、私たちの右寄りの思考の基盤になっています。左派の人々は、右派がどうして自集団に強く固執するのか訝しがるきらいがありますが、自集団への愛着心や他集団への対抗心というのは、人類が進化の過程で獲得したごく自然な感情なのです。移民を嫌う右派の心情は、自集団にのこのこと入り込んできて食糧にありつこうとする他者を嫌う私たちの原始的な性質からきているのです。どうして右派は他集団を排斥しようとするのか。その要因のひとつがここにはあります。
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